餅巾着 様
このたびは動画394に関するお便りをお送りいただき、誠にありがとうございます。
いただきましたご質問につきまして、順番に回答をさせていただきます。また、右側BBSにおきましても、存在と非存在に関する解説を予定しておりますので、ぜひご確認いただければ幸いです。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
SO&SO
古川会長 目風様 宇宙全史スタッフの皆様
餅巾着(もちきんちゃく)と申します。
確率のことについて考えを投稿します。動画や、皆様の先に投稿された確率の考察が大いに参考になりました。私の投稿も、皆さまの参考になればと思いますので、よろしくお願い致します。
最初は、「確率なんて確率だろう、考える意味あるのかな」と思っていたのですが、確率のことを考えていくうちに、量子力学の話が関わってくるとても深い議論だと思いました。
まず、確率ですが、全体の事象から特定の事象がおこるときの起こりやすさの指標と定義されるようです。全体の事象は例えば、サイコロを一回振った時に起きる全ての事象(サイコロの目が1~6出る)であり、特定の事象はその中で特定の目が出ることですので、サイコロを振ったときに2が出る確率は6分の1となります。
ここで、動画内での目風様の問いかけで、「確率が1より上になるときは何」というものがありました。サイコロの例で考えると、1というのはサイコロを振ったときに1~6のどれかが出るということですので、1回のサイコロ振りで複数回サイコロの目が出るときには、確率が1を超えるということになります。(サイコロを振って6が2回でるという具合)
確率について、より、具体的に考えてみます。三つのドアがあり、二つのドアを開けるとケーキがあり、一つのドアを開けるとクマがいるというケースを考えて見ます。
この場合だと、ケーキ・ケーキ・クマとなるので、全体は3であり、クマはそのうちの1なので、クマの出現率は3分の1となります。
ここで、私の頭に入ってきたのが、「ドアって何?」「ケーキって何?」「クマって何?」ということです。世の中には、抽象的なドアは存在しませんし、抽象的なクマも存在しません。
そのため、「この私が」「〇〇時、〇〇場所での、ドア」を開けると「ヒグマの北海太郎が〇〇時に○○場所の部屋の中にいる」という具体的な状態しか存在しないのが通常の世界です。例えば、私が実家のドアを開けたときに、中にヒグマの北海太郎がいる確率は、そこにいるかいないかのどちらかの必然であり、確率論ではありません。このように、現実の世界において、場所と時間と存在する物質が十分に特定された場合は、そこには確率は関係ないことになります。なぜなら、「私が●時●場所のドアを開けたとき」と条件が特定された場合、その特定結果によってクマがいるいないの結果が変わるわけではなく、最初からクマはそこにいるかいないか決まっているからです。結局、全体の事象と特定の事象は、物理的な因果法則で結びついているので、確率という話は出てこないことになります。
ここで、また疑問が浮かんできました。「条件が特定された私」「条件が特定されたクマ」とは何かということです。そこで、考えてみたのが、クマの条件は時間・場所・構成物質の状態で決まりますので、「極限まで時間を短縮した(プランク長を光速が移動するプランク時間)一瞬の時間に、極限まで場所を細分化した(プランク長で構成される立法体)場所で特定された、クマの体を構成する量子が全てある特定の状態にあるクマ」が極限まで条件を特定されたクマということになります。
ここまで極限まで条件を特定したクマを考えると、厄介なことが起きます。
それは、クマを構成する粒子はクマの体内に電子顕微鏡を挿入して観測するまでわかりません。クマを構成する量子は、量子状態で確率的にしか構成場所を計算することしかできません。このように、確率論を封じるために、抽象化された事象を具体化すると、確率ではなく必然の世界になりますが、事象を極限まで具体化していくと、今度はまた確率の世界に戻ってしまいます。
量子の世界で確率が出てくるということは、量子は抽象概念に半分足を突っ込んでいる存在なのかな?と思ってしまいます。考えてみれば、場所と時間(あとはスピン?)で量子を特定した場合、その時間と場所にあるのはどの量子であっても結局同じことで、他の量子との区別がありません。
はじめに言葉ありき、というご解説もありましたが、世界は抽象的な空間から具体的な世界が滲みだしてる世界なのでしょうか。認識やフラクタル次元とも関係してきそうですね。このあたりは、宇宙全史の物質の項にヒントが書いてあるような気がしたので、また熟読してみたいと思います。
今後とも、学びの場の提供を、よろしくお願い致します。
餅巾着
2025・1・29
餅巾着 様
動画400のお便りをいただき、ありがとうございます。
期間中にお寄せいただいた、皆さんの「確率」についての研究へのご回答は、次回の収録でまとめてご紹介・回答させていただきます。
SO&SO
目風様 古川益三先生
確率が1を超えるということが成立するためには、この確率の計算過程に時間が関与しなければなりません。
確率をA/Bという分数で示す一般の数式はスタティックで、Bにありとあらゆる全ての可能性の総体を割り当て(これだけでも不可能な場合が多いと思いますが)、Aに全くのゼロからBという全体までの幅で部分を設定するものですが、当たり前ですが、それは0から1の間の数になります。
これはAとBが動かず、変化しないと考えるからであり、AとBは事象であり、時間そのものであり、動いて止まないものであるとすれば、それが示す変容により、確率は1以上になることが起こります。
OTN様も考察されているように、ここで思いつくのは、確率にマイナスがあるか、さらには虚数次元、フラクタルと何かつながっていくのかですが、基礎知識が不足しており、考えが進みません。
この設問自体、間違っているかどうかが分かるまで考えてみたいと思います。以上です。ありがとうございました。
2025・1・27
どっぺん様
動画400のお便りをいただき、ありがとうございます。
期間中にお寄せいただいた、皆さんの「確率」についての研究へのご回答は、次回の収録でまとめてご紹介・回答させていただきます。
SO&SO
目風様、皆様、いつも宇宙全史のワーク日常のワークおつかれさまです。
私の日常のワークはとてもありがたい事でこれからも頑張ります、守護霊様ありがとうございます。と思いたいのですが、いつだって嫌々です、好きな時に寝て、好きな時に起きて、好きな事しに出かけて、好きな時にボーっと出来る暮らしに憧れます。言うなれば私は一生遊んで暮らしたいのです。20年後に残れたならば、先ずはこれが出来る世界を堪能しようと、思います。
365日自分も周りも祭日な感じがしたらとても素晴らしいですね
話がソレましたが、ここ最近の動画や文字起こしを読んでいると、答はこれらのお話しの中に有りましたので、私の前回の嘆願に付いてはお答えをスルーして頂いてくれると、助かります。またお聞きしたい事が出来たらら並び直します。
しばらくは続くとの事、全ての人が嵐の中をしばらくは漂う事に腹を決めようと思います。決めようと思ってはいますが、出来るとは限りません。私自身もこの大淨化のイベントの恩恵にあやかっているのですから、逃げる訳にはいきませんね
今更ですけど。
そういう訳でお忙しい中、またお邪魔してしまいました。
最近も動画でお身体の心配をなさっている様ですから、どうぞ完全にオフの日など、たまに取るなりして、ご自愛下さい。
P.S温泉がやっぱり良いですよ。ベタですが王道の草津なんてどうでしょうか
2025・1・26
目風様
OTN(オーティーエヌ)と申します。1を超える確率というのは、AIでなくても大変興味深い問いかけです。確率が100%を超えるとはどういうことなのか? 2つの考えと、関連して新たな疑問が出てきました。理解を深めることに少しでも役立てばと思い、拙い考察なのは承知で投稿いたします。
(1)未来が強く定まっている
確率とは将来のことです。私たちの住む世界(あるいはオーム宇宙)では、最大100%。これが100を超えるということは、将来に起こることが予め強く確定していることではと思いました。そんなことが起こる世界というのは、放っておくとエントロピーが減少する世界なのかもしれません。これと反対なのが、私たちの世界です。放っておくとエントロピーが増大し、乱雑度が高まる。将来のことは確定できないが、ある程度の可能性は見える。それが確率。確率が出ていても、人やそのほかの要因が介入することで、0から100の範囲で変動できる可能性はあります。
これに対して、放っておくとエントロピーが減少する世界では、何もしなくてもものごとが秩序だっていく。(どういうふうに秩序だっていくのかは人智を超えた話という気がします。)ただしこれも、人やそのほかの要因が介入することで、決まったもの以外の未来も作れるかもしれません。仮に確率が110%ならば、人間が物凄く頑張れば変える余地もありうるとか。これが200%や300%になってくると、実際には人間が変えることなどできず、決まった未来に向かって物事が秩序だっていくという世界なのではと。
ただ、そもそもこういう世界があったとしても、そこには生命というものがあり得ない可能性もあります。放っておけばバラバラになっていく世界の中で、自分が生存するためにものごとを整えていくのが、微生物から人間にいたるまですべての生命のありようだからです(何かで読んだ受け売りです)。
(2)認識が不十分である
確率は、分子÷分母という分数で考えられます。
分母:すべての事象(例えば、サイコロの6つの目すべて)
分子:特定の事象(例えば、1という目)
確率が1を超えるということは、分母より分子のほうが大きいということです。これが起こるとすれば、人間の認識が不十分なために「すべての事象」を把握しきれず、分母が小さめになっているからです。把握していなかった分子が発生することにより、結果として100を超えた確率になるということです。例えば、サイコロを初めて見た人が、一方向から1・2・3の目だけを見たままに、1・2・3のいずれかが出る確率が100%だと考えたとします。しかし実際には4・5・6の目もあるので、何らかの目が出る確率は200%となります。これは、認識が不十分なために、想定していなかった事象が発生するということです。
サイコロの極端な例はさておき、私たちは誰しも自分なりの認識の枠組みを持っていて、何かを見たときには自分の認識枠組みに照らして判断しています。しかし、どこまでいっても人智の認識を超えたものごとは存在します。このことは宇宙全史が長年にわたり教えてくださったことでもあり、そうでなくても科学を真剣に考えれば分かりそうなことです。
同時に、意識的な取り組みによってこの枠組みを広げていくことも可能なはずです。
そこで思いだしたのが、宇宙全史の初期からずっと言われてきたこと、「宇宙全史1」ではp.33から何度も出てくる「既存のものを疑う」ことです。確率の計算式で言えば、「既存のもの」が「分母」に相当します。自分の知っている分母を超えたものごとが、この宇宙にはいくらでもあり、それが確率100%を超えることにつながるのではと。そうすると、認識度(次元)を上げていくことで分母が拡大していけば、100%を超えるものごとに遭遇することは少なくなっていくのではと思いました。最終的に完全覚醒に至れば、確率という概念すらなくなる世界に出会えるような気もします。
(3)マイナスの確率
以上を考えていて新たに浮かんだ疑問が、「マイナスの確率」はありうるかということです。それは、非存在に関係するかもしれないと思いました。そうだとすると、サイコロの「-1」という目は、「1」の目の非存在となります。これが出る確率が、「マイナス6分の1」となるのかもしれません。ただ、それが現実世界ではどういうことかと言うと、分かりませんが。
…的外れな可能性が大きいかもしれませんが、以上です。今回の問いかけも非常に刺激的でした。正解はともあれ、宇宙全史での凄まじい情報と同じように、認識の枠組みを考え直すきっかけになるという気がしました。ありがとうございます。
2025・1・24
OTN 様
動画400のお便りをいただき、ありがとうございます。
期間中にお寄せいただいた、皆さんの「確率」についての研究へのご回答は、次回の収録でまとめてご紹介・回答させていただきます。
SO&SO
目風様、
毎回の動画解説ありがとうございます。毎朝楽しみに勉強させていただいております。
今朝の動画の確率が1以上の場合ので意味について想像してみました。
確率が1の時点でその事象が起こることは100%なので、1を超えた場合はそれ以上のことを表していると思われます。考えられるのは、事象を起こす潜在力の大きさで、物事を現出させるエネルギーの大きさようなものです。事象が100%起こるのは当然で、まだ余力も奥も、続きもあるよという感じです。
言い換えますと、無又は0あるいは真空から何かを起こしたり、生じさせたりする力の源、意識の根源を表現しているのではと、感じました。この根源が真我であれば♾️に相当するのだと思います。
以上、想像ですが一応答えさせていただきました。今後もご指導よろしくお願いいたします。
話題変わりますが、エネルギーを貯めるため、朝日を浴びなければと感じていますが、なかなか朝方にはなれず苦労しています。何とかしたいと思っています。実践されているかわかつ編集長は、ご立派だと思いました。太陽は生命を生かしたり、癒したりしていただけるありがたい存在で感謝しております。
ありがとうございました。
2025.1.24
Kazu様
動画400のお便りをいただき、ありがとうございます。
期間中にお寄せいただいた「確率」についてのご回答は、次回の収録でまとめてご紹介・回答させていただきます。
SO&SO
古川会長 目風様 宇宙全史スタッフの皆様
餅巾着(もちきんちゃく)と申します。
皆様が存在と非存在について、続々と回答されておりまして、私も考えを投稿させていただければと思いました。
-A、0、Aについてですが、ちょうどガリレイ変換の解説の中に、「慣性運動は、起点をどこか決めなければどっちが動いてるか確定できない」との解説がありました。
結局のところ、存在と非存在も同じで、存在か非存在かを決めるには、起点を決めなければ存在か非存在かそもそもわからないのではと思います。
動画395と396で、「はじめに言葉ありき」として、言葉の意味を解説いただきましたが、存在と非存在の以前に、起点(ゼロ)を定めるために、前提としての概念や観念、情報が存在しないと起点も定まらないのだと考えました。以前、なぜ世界は何故あるんだろうと調べたことがあり、世の中に概念が存在する限り、本当に何もない状態は観念ができないとする説があり、その知識とつながりました。
また、動画では、言葉が認識に重要な役割を持っているとして、ご解説いただきました。
考えて見ると、確かに、「全ての存在」を考えた場合、そこから対象を個別的に認識していくためには概念によって個別的に条件をつけていかないと、認識の対象が特定されず、認識もできないのかなと思いました。
なんらの条件付けをされていない「ただの意識だけ」を感じるために、「五感が無くなり、体の内の感覚もなくなり、記憶がなくなり、思考がなくなり…」と、純粋な「ただの意識だけ」をイメージして、どうなるのかと試みるのですが、大抵余計な記憶や感覚で意識が条件付けをされて、夢となり、寝落ちして終わります。
話は変わりますが、このように、世界や宇宙を掲示板や動画にて学ぶ場を提供していただいている意味は、世界平和の祈り効果をアップさせるためもあるのではないかと勝手に考えております。どこかで見たのですが、祈りの効果は祈りの提唱者に対しての信頼が効果を左右するとありまして、学びを得れば得るほど、宇宙全史を通じて五井先生に対する信頼が醸成されるので、世界平和の祈りの効果もアップするのではと考えました。
以上です。どうぞ、よろしくお願い致します。 餅巾着
2025・1・22