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SO&SO
ジウン 様
SO&SOです。
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御祭舟感想
お疲れさまです。
御祭舟が、とても面白く様々な所感が湧き出ましたので
感想を書かせて頂きました。
ともすれば会長に対して失礼な言葉使いがあるかも知れませんが、
作家様の作品に対する一読者の感想とご容赦頂けたらと思います。
まだ序盤の段階かと思いますが、
このスケールとクオリティが6巻あるいは7巻まで続けば、
漫画の歴史に残る、すごい作品になるのではと思いました。
感動した要素を3つに分けます。
①
ストーリーが面白い
②
絵が素晴らしい
③
知覚が刺激される
20:49 ながら ①
ストーリーですが、圧倒的なマクロ感(巨視的な感覚)に、思考がグイグイ飛躍させられました。
恐縮な物言いですが、個人的に良い音楽を聴いていたり良い読書体験をしている時に出てくる現象です。
読んでいて思いましたことに、この宇宙は「善と悪」の概念はどうなっているのだろうということです。
あるいは「普遍的な倫理観」というのはあるのか?という疑問です。
(宇宙全史で解説済みでしたらすみません)
「善」とは強力なエネルギーを有する(エネルギーを搾取して循環する)コミュニティの意思で、
彼らのエネルギーの搾取(循環)構造に反する動きは「悪」となりそうに感じました。
「ジャガスター」のコミュニティは我々オーム宇宙の一個人からすると、まさしく神のような存在に違いなく、
ジャガスターの意思決定が「善」となるのか、もしくは「善と悪」や「倫理観」と言う概念は、
一定の生物(人)の中に発生する卑小な概念で、宇宙の上位の中では不必要な概念なのか?
読んでいる最中に上記のようなことが次々頭に浮かんできます。
搾取構造の流れに沿った行動は推奨されるシステムにされ(儒教の教え的な?)
搾取構造に背く行為や考えは制御がかけられたり「罰が当たる」ように組まれそうです。
…となると、そもそも「善と悪」という概念はあるのかな?
また脚本(脚色?)というか漫画への落とし込みが、すごく巧みだと感じました。
手がかりのない果てしがない宇宙観に、漫画の筋としてのポイントを見つけ、
そこのポイントを丁寧過ぎず、かといって意味不明過ぎず、ちょうど自分で考え咀嚼できるレベルで説明し、
次のポイントを提示し、徐々に宇宙観の理解と並行してストーリーの始まりを理解させていく構成に、
読みながら感心しきりでした。(失礼します汗)
プロローグのブックハンティングの話しが7番目の「ハゾ・マネの大戦」につながるかと思います。
そういう大筋以外でも、漫画のコマの端の方の絵や、ちょっとしたセリフの真意など、
細かいディティール全てにフォーカスして欲しくなるほど、どれも気になります。
20:49 ながら ②
絵がとても魅力でした!
Zroomのスタッフの技術を、どのように会長がご自身の絵と融合させているのか
詳細はわかりませんが、絵とデザインがむちゃくちゃ好みです。
人の表情と陰影が特につやっぽく、表情でその人物の「カルマ」が匂い立つ感じです。
御祭舟のストーリーは漫画の傾向として類似が思い浮かばない種ですが、
エキセントリックな質感に形容しがたい造形とイラストが、
把握しづらい未知の宇宙観を視覚で補い楽しめます。
絵の好みは主観の問題なので好きとしか言いようがないのですが、
コマの運び、コマの構図、背景や衣装小道具に到るデザイン全て好みです。
あと漫画の中の絵とは違いますが、御祭舟の告知画像の「アニエル」は、
迫力というか…鬼気迫るものを感じました。
触虹(セノーラ)があがるのを見つけるカマイ兄弟と
ガロを踏むカマイ兄弟は、印象に深く残る絵で、
話の筋に沿った必然の運びとして絵が展開されていてぞくっとしました。
第一章第二話の終わりまでの6ページも最高にかっこよかったです。
20:49 ながら ③
知覚が読んでいる最中にずっと刺激されました。
例えばラ宇宙のテレパシー社会ではテレパシーが進むと言語でなく、
記号や色を使った「了解」の思念パターン、「不快」の思念パターンなど
交信のショートカットパターンが生まれそうだな、とか。
逆に他不可を外した(解除した)、本能ダダ漏れの原始的な催しがあると面白そう、とか。
ラップのように思念のパターンを次々アドリブで発信し合うなどの、
テレパシーを使った芸術や文化ができそう、とか。
初めて見聞きする新しい概念に、筋を追う楽しさとは別の感覚刺激の連続でした。
20:49 ながら 自分の感想は、直接作者に自分が思ったことを伝えたい感想ですので、
広場などの他者向けに適していますか、わかりませんが読感を書かせて頂きました。
会長業務との並行(ボヘミア業務もありますね)での、漫画創作作業は
大変かと思いますが、続刊楽しみにしております。
2022・11・1
先日いきなりながらくんから「会長のマンガの感想書きました、読んでください」と文章を頂きました
読んでみますと中々の文章でしたので、皆さんの参考になればと掲載いたします
まんだらけでは宇宙全史のワークはアウェイに近いものがありますが、マンガを描くことで、少しづつ理解者が増えて来るのかなとも思いました
またながらくんは、単なる理解者というのではなく、彼自身がまんだらけの中でも異色の存在で、以前まんだらけの変やで東京コレクションというファッションショーを開いたのも彼でしたし、色々な企画をやって、みんな成功させている実力者でもあります
感想の内容は分かりやすくテーマ分けされ、中にはズバリと作品創作の核心にまで触れるような内容があり、こちらもドキッとさせられるところもありました
そんな彼に褒めて頂いて恐縮でしたが、第二巻発売に向けて老体に鞭打つ覚悟が出来た気がします
有難うございました
古川
ととろ 様
SO&SOです。
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Satsuki 2022・10・27
古川会長、目風様、みわ様、虚空蔵55様
月読之大神様、五井先生
いつもありがとうございます。
世界人類が平和でありますように
まんが御祭舟、読ませて頂きました。
漫画だから、本当にあっという間に読み終わってしまいました。
プロローグ5話のあとがきで、虚空蔵55様の切れた時、というのはいったいどういう状況だったのかというところが考えると恐ろしいですが、気になるところです。
他にもまんだらけ梅田店には何度か行かせて頂いていましたが、マンモスの化石に気づいたことは一度もありませんでした。今度よく見てみようと思います。
宇宙全史関連書籍もそうですが、読んでいて、落ち着きます。
ありがとうございます。
自分は人生で何をしたかったのか。
そんなものはないのかもしれません。わかりません。
ただ、五井先生に繋がったこと。
これだけが確かな、この人生での宝物です。
この人生ではなく、人生を越えた永遠の宝物ではないでしょうか・・・。
自分には本当にそれしかない、としか言えません。まじまじ考えてもそれしかない。
しかし、その永遠の宝物を見えなくする、日々日常の消えてゆく姿に
どうしても枝葉のことに眼を曇らせてしまっている。
永遠の宝であるのだと、日々確認していかないと、すぐ忘れてしいます。
分かっちゃいるけどやめられない。消えてゆく姿に手を染めてはしんどい想いをする。
ああもしたい、こうもしたいことは、本当はどうでもよいことなのに。
今まで押さえつけてきていたから、爆発する。何が何かわからない。
どうでもよくないと思えて色々失敗する、墓穴を掘る。
色んな経験も、
今になって、ああっもっと早くやっていれば、できれば、よかったのにね・・・。
と過去を悔いて思ってみも、それはそれでショウガナイ。ああ、消えてゆく姿。
それはやはり学びなのだと。
自分には、今生この地球でやりたいことはないけれど(と思います。今のところ?)、
生き延びたいという想いよりは、もういいから、という想いがあります。
それよりも。祈りたい。ワタワタ動くよりも。祈りたい。
今生、生まれてきたからには五井先生の中に溶け込んで、己をなくしてしまいたい。
再びもう生まれて来なくていいくらいに、祈りの中で浄化してしまいたい。
この世のあれこれはもうこれ以上はいいから、一日も早く業生が消えてゆきますようにと。
やはり、こういう想いが湧き出てくるのは否めません。
世間からの影響を受け、人付き合いとか、生きがいとかを探さなくてはと、色々ワタワタし
てしまいますけれど、
けれどもどうしても、「そんなん本当に求めてないねん。」、という想いがふわっとやって来
る。
確かに、生真面目、ストレスを発散できない、経験値不足の人間ですが、もうめんどくさい
からもうしんどいから、もういいやという弱い面が多くあり、でも何かしないという葛
藤もあります。
仕事柄、目の前で展開される、色々な方々の人生。その端っこ、本の一端。
その終わりの数年に立ち合う。
皆、それぞれ一生懸命働いてきただろうに、元気だったころの写真を見るといたたまれない、
と感じることがある。
長く生きて、こうなのか?こういう終わりなのか?これだけなのか?人生の終盤が、こんな
日常なるのか?何でこんなことに関わらなくちゃいけないんだ、と思ってしまう日々。
そこに腹を立てる自分がいます。悔しい、鬱陶しい、何なんだ?!
でもそれらはすべて、その人、一人ひとりがそういう形として、消えてゆく姿として果たし
てゆくしかない、それはそれで仕方がない。
目の前の人、それぞれに反応し、激怒していた自分。何で俺が!と腹を立てている自分。
自分のその怒りだけが消えてゆく姿であると思っていた。
その怒りが出てくる自分をどうしても責めてしまっていた。この怒りは目の前の奴のせい
だと思ってしまっている自分もいる。
けれど、目の前の人もまた、その人の消えてゆく姿を果たしている。
それはそれでしょうがないんだ・・・。
人の消えてゆく姿に、つべこべ言っていた自分に気が付かされた。
目の前の人の天命が完うされますように お互いの業が早く消えますように
これしかないんだと改めて感じる。
先の目風様の書き込みに、
『学びに必要なファクターは、1にも2にも「真剣さ」です。
生活全体、生き様全体をこの「真剣さ」に捧げて、最後の最後の人生を賭けてみて下さい。』
とありました。
大分前に『祈りの全てを捧げてください。それが何をもたらすかをただ見ていてください。』
と虚空蔵55様が仰っていたことが、ふと思い出されました。
私には、賭けるのなら、五井先生しかありません。
でも、真剣と聴いたら、ガッチガチに固まって、生真面目にやってしまいくたびれてしまう、息が続かないのが自分の課題です。終いには不平不満に汚れてくるのが常です。
そうならないように、五井先生が仰るように、肩の力をふんわりと抜いてお祈りに入っていくような、様々な工夫のことはやはり今まで聴いているはずなので、思い起こしながら調べ直しながらやるしかありません。
本当に最後の最後なんですね・・・。
今の自分のあらゆるグダグダ、そしてどっちつかずを脱するには、薹がたってしまわないように(今ちょっと危ないけれど・・・)
真剣に
「五井先生ありがとうございます」
の中に入り込んでいく、
真剣に日常を生きるしかありません。
世界人類が平和でありますように
五井先生ありがとうございます
五井先生ありがとうございます
10・31
世界人類が平和でありますように
五井先生ごめんなさい
五井先生ゆるしてください
五井先生助けてください
五井先生ありがとうございます
世界人類が平和でありますように
古川益三様
みわ様
月読之大神様
虚空蔵55様
目風様
植芝先生
EO様
五井先生
ありがとうございます
お祈りいたします
どうかよろしくお願いします
世界人類が平和でありますように
11・3
世界人類が平和でありますように
目風様 古川会長 みわ様 虚空蔵55様
月読之大神様 五井先生いつもありがとうございます。
先日、高橋英雄先生のご著書「神の満ちる星の話」を久しぶりに読んでいました。
これは高橋先生の最近の三部作、他の「五井先生」「神のみ実在する 五井先生かくかたりき」の中の一冊です。
世界平和の祈りをするとき、五井先生をお呼びする時、
どのような想いでいたらいいのかを改めて学ばせて頂きました。
第2章 ゆるしてくださるよ
の中にある、
「神様!たすけてけてください!ゆるしてください!って祈るんだよ。
肉体人間だけでは何もできないからね。息をすることだってできない。
親鸞さんはそういうところを、なんべんもなんべんもくぐってきたんだね」
この五井先生と前後の高橋先生のお話を読んで、感じるところがありました。
昨日夜勤明けで意識がボーっとした状態で、そろそろ横になって休もうとしたときに、
ふと思いました。
自分はただ「助けて!って」思っているだけだったんじゃないか・・・。
そう思いました。今までずっと、ただ、ただ、たすけて~って・・・。
「五井先生!助けて!」
そうした想いが、根底にあるのに、表層の想いではあれを掴みこれを掴み、あっちこっちに手を出して自分を混乱させてしまう。この世のあれこれに心が動き、
あれがほしい、あれを知らないとこれも知らないと、物欲、所有欲、恐れ不安・・・様々に混ざり合い、藁をもつかむ餓鬼の想いとなり
大混乱してしまい、もう訳が分からなくなってしまう。
そうして、疲弊、消耗していってしまう。
そんな時を過ごしてしまっています。
でもしかし、
シンプルに奥の奥では、「神様!助けて!」
というシグナルのみがあるのではないかと思いました。
そうしたシンプルな想いがいつしか、薄汚れていく。見えなくなっていく。
「助けて!」
思えばずっとそうだったのだと思います。
幼少のころ、心の中で「かみさま、かみさま、どうか助けてください・・・」と
夜、布団の中で目をつぶった暗闇の中でポロポロ泣いていました。
死ぬことが怖かったり、死んだらどうなるのか、父母と会えなくなる・・・。
目をつぶった時に出てくる、真っ暗闇の底なしの空間の中に頭の中の声が反響し、父母の声が反響していました。
そして全てがそこに消え去っていくのか・・・無となっていくのか・・・
という恐れを抱いていました。
どんな時でも、心は「助けて!」という一つの叫びをあげていたのだ。
その叫び声しか、なかったのだ・・・そう思いました。
そして、蛆虫の如くモゾモゾうごめく自分の眼の前に、
一縷の望み、蜘蛛の糸「五井先生」が今ここに・・・。
私の好きな本の中に、村田正雄先生の「私の霊界通信」や斎藤秀雄先生の「霊験巡行記」などのご著書があります。
村田先生の「私の霊界通信」の中に、弥陀の願船が出てきます。
五井先生がそれにお乗りになって、大光明を放ちながら移動していきます。
五井先生の腕が下界にまで伸びて、下界の人々を救い上げていきます。
しかし、その手から自分からこぼれ落ちていく人々もいます・・・。
私はそれを読んで悲しいなぁ・・・何でなんだ・・・自分は落ちたくないな・・・と思っていました。
「御祭舟」とその絵を見た時、これは弥陀の願船なのかな?という想いがちらつきました。
「かみさま、たすけてください。」という想いが見えなくなって、ますます見えなくなって、大事なことに思いが向かなくなってきて、それでも祈り続けてきました。
それは、日常の枝葉のことをどうか何とかしてください、これは嫌ですあれは嫌ですと
汲々とした、
今この肉体だけが何とかなればいい・・・
それは非常に確信的なものから遠ざかったものでした。そこに振り回されて行く毎日でした。
そういう毎日を繰り返し、先日ようやく、実はわたしは、根本の根本で、魂が、本心が「助けて!」って叫んでたのではないか?
根本の奥の奥の奥の・・・救われを私は求めていたのだということに気が付いてきました。
かみさま、ごめんなさい
かみさま、ゆるしてください
かみさま、どうかたすけてください
五井先生!世界人類が平和でありますように!
五井先生!ありがとうございます!
そうか、自分は「たすけてって」想っていたのか・・・
シンプルに「五井先生、助けて!」でよかったのだ・・・
それをそう思えなかった・・・。
あれがこれがと喘いでいた自分を今感じております。
世の中を見て、
業が浮き上がっている様が今なのかと、このようなさまなのかを今さら感じています。
五井先生おねがいします
世界人類が平和でありますように
五井先生ありがとうございます