Uchuzenshi Q&A 2

スーザン
ID : 981861356706

2022・8・26

目風様、みわ様

大変お忙しいところ、ID : 231970013201 と ID : 546113644819にて、人智では到底及ばない貴重なご回答を頂き誠にありがとうございました。

ID : 231970013201にて頂いた丹田に関するご回答や、ID : 546113644819にて頂いた神々や次元に関するご回答は、現状の私が消化するにはかなり困難であると感じておりますが、それでも何とか理解できないものかと奮闘する中で、多くの学びを頂いたような気がしております。

未だ暗中模索の日々でございますが、多数お伺いしたいことがありましたので、自らの認識不足を承知で、本日も質問をさせて頂きます。

中途半端な理解のため、至らない質問ばかりであると思われますが、本日もどうぞよろしくお願い致します。

1. 丹田を作成する方法について(続)

前回に引き続き、丹田を作成する方法についての質問をお許しください。

この度、ID : 231970013201にて、

●その通りで、人により(その方の段階により)丹田を作る方法は異なります

●私(古川)の場合は瞑想のエネルギーは、ほぼ虚空蔵55が使い切っていましたので、他の手段を取らざるを得なかったのです

●丹田は確かに上位次元に関わっていますが、肉体とその上位次元の身体、精神界のバランスを修正、強化します

とのご回答を頂きました。

当たり前ではございますが、頂いたご回答が私の認識を大幅に超えていたため、過去に開示して頂いた瞑想に関する情報を再度参照させて頂きました。その中でも特に、

●「瞑想」のメソッドとしての位置づけは、「注意力(夢見の注意力)の特化」ということが言えます(質疑応答15, p.251)

●瞑想は上位の注意力(視点)を養うという要素を持っています(質疑応答15, p.252)

●肉体は気に従属し、気は精神に従属する(質疑応答15, p.326)

という部分が印象に残っております。

最後に引用させて頂いた「肉体は気に従属し」という部分は、御祭舟第一章の第一話、第二話にてエネルギー(精力あるいは気や魂魄の流れ・精気)について詳述して頂いた事により、気が肉体を動かす(肉体は気に従属する)ということが明瞭になってきたような気がしております。

「気は精神に従属する」という部分ですが、こちらはまだまだ具体的な理解は伴っておりませんが、古川様が瞑想により得ていたエネルギー(虚空蔵55様が使用していたエネルギー)あるいは、瞑想により養われる上位の注意力(視点)とは、上記で引用させて頂いた「精神」に関わるエネルギーになるのでしょうか?

なぜこのような質問をさせて頂いたのかと申しますと、私の理解では、瞑想により、精神(精神界?)に関わるエネルギー(精神界に関わる注意力・視点)が獲得されることで、精神に従属する気に必然的に影響が生じ、続いて、気に従属する肉体に影響が生じ、結果的に丹田を養うことに繋がるのではないか?と推測したからでございますが、そもそもこのような理解でよろしかったのでしょうか?

また、上記質問の中で「精神」あるいは「精神界」というお言葉を引用させて頂きましたが、よくよく考えてみますと、その意味するところを私自身は何も把握しておりませんでした。

目風様が「精神」あるいは「精神界」というお言葉をお使いになる際は、どのような意味を含ませてお使いになっておられたのでしょうか?

目風様から度重なる丹田に関するご回答を頂いて以降、私も少しづつ瞑想を日常に取り入れさせて頂いておりますが(実際は瞑想といよりも、祈りに集中する時間を以前よりも少し多めに取らせて頂いているという感じです)、「人により(その方の段階により)丹田を作る方法は異なる」とのご回答があったことを鑑みますと、私には瞑想はまだまだ時期尚早のような気もしております。

(どちらかと言いますと、以前から学ばせて頂いております太極拳の練習時間を多めに取ることが、今の私には適当な丹田作成方法ではないかと感じております)

現状、丹田を作成する方法に関しましては全くの手探り状態であるため、今は「虚空蔵東京本」にてご解説頂けるであろう内容(古川様が実行しておられた「他の手段」)を理解できる(適応できる)私になれますよう、出来る準備をコツコツと進めていきたいと思います。

まだまだ不勉強な部分が多い身ではございますが、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

2. 完全覚醒に必要とされる健全な精神と身体について

ID : 231970013201にて、

● ① 完全覚醒には健全な精神が必要とされる

● ② 健全な精神には健全な身体が求められる

● ③ これらの要求には段階がある

● ④ 故に完全覚醒といえど段階がある

とのお言葉を頂きました。

こちらで仰っておられる「健全」とは、(私のような各種欲望の虜になっている「不健全さ」ではないことは明らかですが)完全覚醒に必要とされる「健全さ」であることから、真我あるいは、真我に近接する意識から見て段階を経た「健全さ」ということになるのでしょうか?

これまで「完全覚醒に段階がある」ということは想像もしていなかった私にとりまして、上記のお言葉は今後に向けての非常に貴重な智慧になると感じました(もし活かせる時がくればですが...)。

以前質疑応答14, p.87にて、完全覚醒者の常として中途半端な状態(現象界と真我を行ったり来たりしている状態)があると伺っておりましたが、「完全覚醒の段階」とは、この中途半端な状態を繰り返し、最終的にどれほど自らの存在を真我に慣らすことが出来たか、その度合いで決まると考えてもよろしいのでしょうか?

あるいは、自らの存在を完全に真我に慣らすことは前提で、その上でさらに真我における到達度(深度?)のようなものに違いが生じてくるということなのでしょうか?

私には全くもって手の届かない境地ではございますが、最大限背伸びをして質問をさせて頂きました。

お手数をお掛け致しますが、、何卒よろしくお願い致します。

3.肉体が存在する次元と人間が存在する次元につて

ID : 546113644819にて、

● 人間が居住している次元では、人間自体が居住次元を超えた存在ですので、そこを悟ると(覚醒すると)色々見えて来るものに制限がなくなるのは当然の事でしょう

とのご回答を頂きました。

こちらの事実に関しましては、以前から小菅正三さんの「次元と認識」をご紹介頂き、また同時に、宇宙全史のワークにおいても様々な角度からご解説頂いておりましたが、この度のご回答を頂いたことを契機としまして、私なりに再度考察をさせて頂きました。

これまで何度もご解説頂きましたように、人間が居住している次元(肉体が存在している次元)よりも、人間が本来存在している次元の方が値が大きいと理解しておりますが、この事実に反しまして、

肉体が存在している次元=人間が本来存在している次元 ・・・(※)

であると仮定して空想させて頂きました。ここで、大切な事実としまして、

● 「思考」という次元を「認識(見る)」しようとすると、それはその上位の次元からしか出来ない行為になる (BBS右側 2009/3/10 No.589)

● 実は感情は思考でもある (質疑応答5, p.206)

● 「あなた」というエゴは実際には(実在として)あるものではなく、あなたのこれまで生きてきた中での経験にまつわる感情や情動、思考の積み重ねによる虚構の存在なのです (BBS右側 2011/10/10 No.1436)

という原則を参照させて頂きますと、(※)の仮定の下では、思考という肉体レベルの脳機能は稼働していますが、それは複雑な神経細胞間の電気信号のやり取りであり、それを認識する「人間」がおりませんので、人間が日常行っているような「思考」は存在し得ず、結果的に、経験にまつわる思考、思考から派生する感情や情動、さらには、感情、情動、思考の集積(記憶と考えてもよろしいのでしょうか?)から生じる自我などが存在しない状況になるのではないかと想像致しました。

記憶から生じる自我がなかったとしますと、世界の見え方というのは(少し前の事象に対しても記憶というものがありませんので)、何の繋がりもないフィルムの一コマ一コマが断続的に目の前に現れ続けるような状況であり、立体的な静止画の連続体ようなものとして感じられるのではないかと考えました。

上記の考察では、人間が本来存在している次元を下げて、肉体が存在している次元と等しくなる状況を考えておりましたが、逆に肉体が存在している次元を上げて、人間が本来存在している次元と等しくなる状況を考えましても、似たような現象になるのではないかと空想しております。

結論としましては、肉体が存在している次元と、人間が本来存在している次元との格差が自我や(変化の記憶としての)時間を生む一つの要因になっていると考えましたが、このような理解でよろしかったのでしょうか?

また、「フラクタル次元は一種の認識系数」であるという事実を考慮致しますと、素直に「次元=認識している世界の次元」と捉えるのが適切であるように思われますが、実際に「認識している世界の(フラクタル)次元」を測るためには、「あらゆる事象は同じパターンを無限に繰り返す」というフラクタルにおける原則に則りまして、まずは世界がどのような(無限に繰り返す)パターンで構成されているのかを見抜く必要があるように思われました。

しかし、現象界における目線で考えてしまいますと、(宇宙全史1、地球霊界構造の章(p.463辺り)にありますように)「因果律による制限」のため(特に時間による制限のため)、事象は無限に繰り返すこと
はないように感じられますので、一旦「因果律による制限」を取り払った状態(魂魄体と呼ばれる状態、あるいは、宇宙全史1, p,463辺りでご解説頂いた基本物質で満たされている状態)を考え、時間による特殊な制限も取り払った状態で、「無限に繰り返しているパターン」を見出し、そこからフラクタル次元を求めるということが必要になるのではないかと考えました。

「フラクタル次元は一種の認識系数」であるという事実から、上記のように考察させて頂きましたが、このような考察は何らかの意味があるものになっておりますでしょうか?

上述させて頂きましたように、世界を「無限に繰り返しているパターン」とみなせたとしまして、そこからフラクタル次元を測る段階に至りますと、ハウスドルフ測度などの数学的な道具が必要になるように思われました。

そのためには、例えば、基本物質を一つの粒子(点)とみなし、基本物質で構成された一種の数学的な集合を考え、そこに位相構造(御祭舟にもありました位相空間とよばれる数学的対象を定義する基本的な構造です)と呼ばれる数学的な世界観を設定する必要があるように感じられました。

そして、位相構造を導入するに当たり一つお伺いしたいことは、基本物質同士の間で、似通ったものが集まるという性質はありますでしょうか?ということでございます。

宇宙を点からなる集合と見なせるという仮定がそもそも怪しいですが、もし可能であった場合、宇宙という集合に、数学的な位相構造を導入するためには、集合を構成する各点(今の場合は例えば基本物質一つ一つ)に対し、近傍と呼ばれるものを定義する必要が生じてきます。

近傍とは、読んで字のごとく、ある点に近い点たちの集まりなのですが、例えば、私の胃を構成する一つの点(基本物質)を仮に x としますと、私の胃(を構成する点全体)や、私の体(を構成する点全体)
あるいは、範囲が少し広くなりますが、地球人全体(を構成する点全体)などは、x の近傍と捉えることが出来ると思います(ある点に対して、その点の近傍は複数個あっても構いません)。

上記のように、宇宙を点からなる集合と見なすことができ、それらの点が似通ったものは集まるという性質を持つならば(近傍という概念が定まるならば)、そこから位相構造を導入し、かつ世界の繰り返しのパターンを見出して、次元を測るということも可能になるのではないかという気がするのですが、やはりこのような考え方は的外れなものになっておりますでしょうか?

いつも似たような観点からの質問となってしまい申し訳ございません。

ご回答のお時間が取れない可能性が高いと思われますが、以上は、私が勝手に私の研究の進捗状況を目風様にご報告させて頂いたものでありますので、私もそのような認識でおりたいと思っております。

いつも貴重なお時間を割いて頂き誠にありがとうございます。

4.いつ死んでも悔いが残らないという生き方について

以上のような考察をしておりますと、今私の目に映る手や足などを含め、肉体全体を認識している(操作している)私がいるはずだという思いが強くなってきております。

良く考えてみますと、日常、もっと時間を無駄にせずにああすれば良かった、こうすれば良かったと悔やんでいる私の思いがありますが、一方で、暑さや眠気、疲れなどから来る肉体の欲求により、怠惰に過ごしてしまう私もおります。

いつもこのような矛盾した思いにゆらいでいる私でございますが、これは、私が覚醒していないことにより、肉体(の各部位)が持つ思いと、肉体を認識している(操作している)「私」の思いが混在し、上手く整理されていないことによる弊害なのでしょうか?

いつ死んでも悔いが残らないよう常に死を意識して生きるとは、覚醒していないがために上記のような弊害が生じるため、一旦肉体における死を真剣に見つめることで(肉体に束縛された生という観念から離れることで)、肉体に纏わる様々な思い、現象界に束縛されていた様々な思いから外れた本当の思いを浮上させ、真に望むこと(とりあえずは肉体を使っている3.28次元の私の思い)を現象界で実現させるように生きるということになるのでしょうか?

試みに、私が無い知恵を絞って自らの死に至った状況を想像してみますと、やはり、こうして質問をさせて頂くこと、私の能力を大きく超えておりますが、私なりの探求による質問を目風様にお伺いし続けておけば良かったという思いが生じてくるような気がしております。

それはやはり、宇宙全史での学びを軽々に扱ったまま(多くのチャンスを自ら手放してしまったまま)死を迎えてしまうと、やはり「ああ、あの時もう少し踏ん張っていれば...」という思考が生じるような
気がするからだと思います。

(あるいは、自ら道を閉ざすということはしなかったという事実が、死に際して自らを納得させる最大限の言い訳になるような気がする、というやや打算的な思いがあるのかもしれません)

日常の中で生じる選択が、実は生死をかけた選択になっているという事実を把握するのは、現状の私にはほぼ不可能ですが、肉体の思いを少しでもクリアにして、思いに矛盾がない日々を送ってみたいと願うばかりでございます。

今後ともご指導頂けますよう、よろしくお願い申し上げます。

5.神々について

この度、ID : 546113644819にて、

● 神々も人間も基本的に同じ穴の狢(むじな)です

● また人間界に降ろされた神々の組成やヒエラルキーはあまり解説しても意味がなく、面倒なので省いております

とのご回答を頂き、誠にありがとうございます。

御祭舟第一章第三話にて、ジャガスターが神々の上位に就くと言われるJUMUに入るまでの大まかな青写真を描いて頂いたように感じましたが、人間を宇宙のクズと規定するならば、彼(神)もまた同様にクズであること理解致しました。

何となく、今流行りの人間性をあぶり出す非常に手の込んだドッキリを見ているような感覚になりましたが、決してドッキリなどではなく、すべて宇宙規模で進行中の事実であるところに御祭舟の視野の広さと、計り知れない智慧の一端を垣間見たような気が致します。今後の展開が今からとても楽しみに感じております。

しかしながら、ジャガスターの本性がどのようにあぶり出されていくのかということも含め、御祭舟の今後の展開が非常に楽しみではあるのですが、同時に、ジャガスターのような存在(あるいは現象的には国家による統治などに相当するのでしょうか?)を図らずも神として戴かなければならない私という存在の低能さもまた同時にあぶり出されていくようで、非常にチャレンジングに感じております。

自分自身を見つめてみますと、人間の(私の)愚かさ(滑稽さ)には際限がないということはハッキリと観察されますが、どこまでそれを見極めることが出来るのか、黙々と挑戦していきたいと思います。

また、御祭舟第一章第三話では、JUMUが神々の頂点に立つ組織である(色々と含みはあるとのことですが)と改めてお教え頂きましたが、他方、以前から「人類とJUMUはお互い反映し合っている存在である」という事実もまたご解説頂いておりましたので、「神々も人間も同じ穴の狢」であるという事実が私の中でより鮮明になってきたような気がしております(第一章第三話の中では非常に多くの神々(JUMU構成員)が描かれておりましたので、神々の組成やヒエラルキーを語ることが面倒であるというお言葉も納得致しました)。

こちらも誠にありがとうございます。

人類の中には、人智では計り知れない遥か彼方の境地におられる方が確かにいらっしゃいますので、人類と反映し合っているJUMU(神々)の中にもその方に対応する飛び抜けた方がおられるのは事実だと思いますが、そういった存在は(私の経験上)本当に稀有な方であるような気がしております(私の世界の程度が知れてしまい、お恥ずかしい限りですが...)。

以前、神々を見分ける判断は愛によって行うとお教え頂いておりましたが、JUMU(神々)が人類を反映しているという事実を考慮しますと、覚醒者あるいは、飛び抜けて器の大きい方を見分ける際にもやはり、愛によってなすことになるのでしょうか?

私に限った話では、自分で経験したり学んだ中で納得できたことをベースにして見分けようとしているような気がするのですが、愛によって判断する目を養う方法としましては、その愛に相当するような
経験(選択)や学びを自らの人生の中で経ていくことが王道になるのでしょうか?

以前、ID : 5428686852にて、

● ただそれ(神)は「人の依存心」の多寡だけ存在するといってもいいかも知れません

とのご回答を頂きました。

現在あらためて自分を見つめてみますと、確かに大いに依存心を持っており、この宇宙の大変革の時期を何とか月読之大神、五井先生、植芝先生、虚空蔵55様、目風様、みわ様におすがりして20年後の「菩経彌逅(ボヘミア)」の時代に生きたいと(行きたいと)必死になっていると思われます。

しかながら、依存する(おすがりする)者の心得としまして、その依存心は宇宙全史・御祭舟にのみ集中させて頂きたいですし、また、こちらで目風様から賜りました処方箋に対しましては、私の意志による選択として(私が選んだ生き方として)、細心の注意を払って従わせて頂きたいですし、(私の欠乏した理解力による処方箋の解釈となるのは否めませんので)従わせて頂いたことにより得られた結果は、全て私の責任であるという事実は忘れずに覚えておきたいと思っております。

虚空蔵55様や目風様の仰る愛とは一体何なのか、引き続き学ばせて頂きたいと思います。

今後ともどうぞよろしくお願い致します。

6.アカシックレコードについて

この度、ID : 546113644819にて、

● (アカシックレコードは)単純な記憶装置ではなく、カルマ(事象発動因子)の貯蔵庫でもあるのです

とのご回答を頂きました。また、以前ID : 58508793889にて、

● 宇宙全史における「記憶の定義」は、超ローカルなアカシックレコードという事になります

とのご回答も頂いておりましたが、以上のお言葉から、アカシックレコードが(部分と全体が相似関係にあるという)フラクタルに特有の性質を持った、宇宙にとって重要な対象であるということを少しだけ感じられたように思います。

誠にありがとうございます。

アカシックレコードは「カルマ(事象発動因子)の貯蔵庫」でもあるとのことでございますが(御祭舟プロローグ第四話のあとがきにおきましても、「アカシック(宇宙のカルマ)」との一文がありました)、こちらのお言葉を拝見した際に、宇宙のカルマとは一体どのようなものか、非常に気になっておりました。

宇宙のカルマの有り様を具体的に知りたいという場合は、それはやはり、宇宙の総決算である地球あるいは、地球に関わる陰始や人類(の持つカルマ)を冷静に見てみるのが一番早いという認識でよろしいのでしょうか?

通常「宇宙のカルマ」とは何かと問われましても全くピンときませんが、「フラクタル(宇宙全体と地球の間にある相似関係)」あるいは「宇宙の総決算である地球」というキーワードをご教授頂いたことを念頭に置き、視点を大きく広げて上記のような質問をさせて頂きました。

こちらでお教え頂いたベースがなければ、上記の質問すら思いつかなかったであろうことを考慮致しますと、宇宙全史・御祭舟の情報は本当に宇宙の秘儀中の秘儀なのだとあらためて感じました。
いつもご教授頂き誠にありがとうございます。

また、「貯蔵」という語感から、貯めてあるカルマを取り出して2つの対象の間でやり取りをすることも可能であるような印象を受けました。ID : 546113644819にて、

● (虚空蔵55様はブラックホールやホワイトホールなどの「穴」を利用してオーム宇宙とラ宇宙の間を行き来しておられるのでしょうか?との質問に対し)そういう場合もあります

● (アカシックレコードは)全宇宙における普遍的なシステムです

とのご回答を頂きましたが、例えば、ラ宇宙のアカシックレコードに貯蔵されているカルマを、(姉妹宇宙である)オーム宇宙のアカシックレコードにふりかえて、オーム宇宙(特に今回の場合は地球)で最終的に解消するといったことも可能なのでしょうか?

「そういう場合もあります」とのご回答から、オーム宇宙とラ宇宙という関係性が近い宇宙間では、実はブラックホールやホワイトホールなどの穴よりももっと行き来しやすい「穴」があるのではないかと考え、さらに、白蔵様(虚空蔵55様)がアカシックレコード(カルマの貯蔵庫)からボコッと取り出されて遊撃手に預けられた描写を思い出したこともあり、虚空蔵55様が「穴」を通って2つの宇宙間を行き来しておられるということは、オーム宇宙とラ宇宙のカルマを上手く調合して処理されていることに近いのではないかと考え、上記のような質問をさせて頂きました。

アカシックレコードに関しましては、分からないことだらけであり、何を伺ったらよいものか中々照準が定まらない感じがあったのですが、何とか知恵を絞り質問をさせて頂きました。

この度のご回答にて、虚空蔵の五色の有様の白、赤、青、黄、黒の中で、白以外の色に対応する方もおられるのでしょうか、という質問に対するご回答としまして、

● もちろんおられますが、それは人間界に呼応する存在がいる場合に限ります

● 「求めるものがいない」場合は、現出自体ありません

とのお言葉を頂きましたが、今回の質問を考えている際に、あまりの私のちっぽけさから、広大なアカシックレコードという対象に視点を集中することの難しさをあらためて感じていたような気が致します
(「求めることが出来る」というのは私目線では異常に凄いことなのだとあらためて感じました)。

非常に小さな視点からの質問となってしまいましたが、ご指導を頂けますよう何卒よろしくお願い致します。

7.「菩経彌逅(ボヘミア)」について

この度、ID : 546113644819にて、「フェオタス・ムータス」とは何語なのでしょうかという質問をさせて頂きましたが、

● 私にも分かりません

とのご回答を頂きました。こちらに関しましては、上の方が降ろされる名前に対し、人類が認識できる意味が必ずあるはずという固定概念が私の中にあったことをあらためて気づかせて頂きました。

「フェオタス・ムータス」もそうですが、この度のご回答の中に登場しましたキーワード「菩経彌逅(ボヘミア)」に関しましても、その意味についてお伺いすることは、同じ過ちを繰り返すことになると思われますので、ご回答頂きましたように御祭舟の中で確認させて頂きたいと思います。

ただ、一つ気になりますことは、過去にもボヘミアンと呼ばれる方々がおられましたが、そういった方々は、時代にさきがけて登場されていたという理解でよろしかったのでしょうか?

あるいは、ボヘミアンと呼ばれた方々が生まれておられた時代に、小規模なアセンションが起きていたということもあったのでしょうか?

これらの質問は「菩経彌逅(ボヘミア)」を普通の意味でのボヘミアと混同しているとろから来るものかもしれませんが、勘違い等ありましたら申し訳ございません。

どうぞよろしくお願い致します。

先日まんだらけのサイトにて、ボヘミアというWEBマガジンが創刊されるとの情報を拝見致しました。

独特のエネルギーが発せられているその場からは、「菩経彌逅(ボヘミア)」の香りが立ち込めているようで、一足先にその精神を感じさせて頂いたような気がしております(漫画という表現手段を持って
おられる方々がうらやましい限りです)。

私も何とかボヘミアン(人外・外道)の仲間入りをし、「フラクタル次元とは一体何なのか」、「数学とは何を表現しているのか」、「数学をしている私とは一体何者なのか」等々、日ごろ気になっている疑問に対して考えを巡らせつつ、自らの可能性(肉体の可能性も含めて)を探っていきたいと切に思っております。

人外あるいは外道と申しますと、誰が地球に残るのか, p.249あたりで、植芝先生が武蔵や小次郎を指してそのように形容しておられたことが思い出されます。

● 外道 ... とは、何の道から外れているのでしょうか

● 「あなた達が見ている一般的な幸せといったらいいかね」

とのお言葉から、武蔵や小次郎の「いつ死んでも悔いが残らない」生き方とはどのようなものだったのか、大変興味深く感じます。

35部品で掲載して頂けるであろう、宮本武蔵の章を今から楽しみにしております。

また、ID : 231970013201にて、完全覚醒を果たされた剣術修行者の方が、後世に向けて何らかの痕跡(流派や書物など?)を残されていたかどうかにつきましては、

●ここはかなり探求しましたが、その方の希望でまったく情報は受けられませんでした

とのご回答を頂きました。完全覚醒された方でありますので、オーム宇宙全体を通じても人外・外道の方であられたように思われますが、「全く情報が受けられなかった」という上記のお言葉からですら、
私の通常の思考の埒外におられる方であることが薄々感じられました。

私が生まれた地域は、田舎ながら剣あるいは武道で大変有名なところでありましたが、生来小心者であったためか、中々そちらに興味が向きませんでした。

しかしながら、人外・外道の精神だけは何が何でも御祭舟の中で学ばせて頂きたいと思っております。

「私は必ず死ぬ」ということ、「自らの良心に従い既存のものを疑う」ということを忘れず、引き続き学ばせて頂きます。

今後ともどうぞよろしくお願い致します。

最後になりますが、この度のご回答にて、目風様の「目」というのは、月読之大神のお使いであることを示しているとのご回答を頂きました。

これまでももちろん、目風様あるいは虚空蔵55様のお言葉は、五井先生や月読之大神のお言葉であると頭の片隅で理解していたつもりでしたが、上記のお言葉で、あらためて目風様のお言葉の重みを理解致しました。

これからの時代を司っておられる月読之大神のご意向がダイレクトに反映されているのが、目風様から頂くお言葉であると理解致しますと、20年後の「菩経彌逅(ボヘミア)」に生き残るには、今まで頂いたご指導に素直に従っていくことが私には最も適切な方法であろうと素直に思います。

まだまだ頂いたお言葉が、私のエゴを形成する思考の部分にまではしみ渡ってはいないように感じますが、そういった部分には早急に死んでもらい、どんどん変わっていければ良いなと思っております。

お時間のないところ大変恐縮ではございますが、引き続き何卒よろしくお願い申し上げます。

毎度のことではございますが、大変ご多忙のところ本日も誠にありがとうございました。

今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

スーザン
ID : 79664489022

目風様、みわ様
 
お時間の限られているところ、ID : 58508793889にてご回答を頂き誠にありがとうございました。
 
考えの及んでいない質問が殆どであったような気がしておりますが、ご回答・ご指導を頂けたことに心より感謝申し上げます。
 
今回もご回答を頂けた大きな幸運を何とか生かすべく、質問をさせて頂きます。
 
お忙しいところ度々恐縮ではございますが、何卒よろしくお願い致します。
 
(以下①, ②などの丸付き数字でID : 58508793889の質問番号を表すことと致します。(1), (2)などのカッコ付き数字は今回の質問番号となります)
 
[上位次元の存在について]
 
質問(1)
 
質問①のご回答から、ギリシャの神々やミューズ神はプレアデス派に影響を与えてもいれば(例えばダヴィンチを初めとして、ルネサンス期のダヴィンチに近しい方々のお仕事の根底には、ギリシャの神々のプレアデス派への顕著な働きかけがあったように思われました)、エル派も含めて他の派閥にも影響を与えており、またまさしく神話にあるように嫉妬もすれば喜ぶこともあるというある意味人間らしい神々であると理解致しました。
 
このような理解でご回答の趣旨を把握できていますでしょうか?
 
また、大変初歩的な質問で恐縮ではございますが、芸術の神としてのミューズ神がおられるように、学問の神、或いはもっと限定して数学の神というような存在もおられるのでしょうか?
 
ギリシャ時代の数学は、現在広まっている数学に対してとても大きな影響を与えているため、その当時の時代精神・インスピレーションの源を担ったであろうギリシャの神々のお話にはとても興味を持っており、質問をさせて頂きました。
 
或いは、(前回伺ったことではありますが)一部のギリシャ文字の源流が今では失われてしまった高度な機能を持つラテン語にあるとのことから、数学による表現には実はまだまだ可能性があったのではないかという思いがどこかにあり、このような質問(ギリシャの神々について知りたいという思い)がわいてきたということもあるような気が致します。
 
それだけに、質問⑨のご回答にて、
 
>現状あらゆる情報の開示が閉鎖(制限)されています
>もう少し早くこの質問をすればよかったですね
 
とのお言葉を頂き、全くその通りであると惜しい思いがしました。古代ラテン語に関してのさらなる智慧のご開示はもちろんですが、プレアデスから来ておられる指導者に関しましても、どのような課題と意図を持って地球に旅立たれたのか、そしてその影響が現在のプレアデス派全体にどのように及んでいるのかを知ることが出来れば、自らのエゴを見つめるという意味でも、或いは、今後の事態を乗り切るという意味でも相当大きなアドバンテージが得られるだろうと期待しておりましたので、伺っておきたかったというのが本音でございます。
 
しかし、既に多くの貴重な情報を頂いておりますので、目風様の仰る通り、今まで頂いた知識、智慧をを大切にしながら進んでまいりたいと思います。
 
また、質問②のご回答にて、
 
>ミューズ神の思惑は計れませんが、その厳しさが恩寵であり、その恩寵を受け止めるだけのものを持っているかどうかがアーティストの課題でしょうか
 
とのご回答を頂きました。こちらのお言葉を拝見し、目風様の人智を超越した認識に改めて驚嘆致しました。
 
通常の目から見ると狂気と捉えられかねない本物のアーティスト達の存在感が何故生み出されたのか、どのようなせめぎ合いの中で生じたものなのか、想像するだけの私には、段違いのレベルのお言葉に思われました。
 
幾転生を重ねれば得られる認識なのかも定かではない大変な事実をお伺いすることができ、その計り知れない恩寵に改めて深く感謝するものでございます。誠に有難うございました。
 
質問(2)
 
質問③のご回答にて、
 
>質問は「善悪の起源」でしょうか、それとも「善悪の概念の形成」でしょうか?
 
とのご質問を頂きましたが、仰る通り曖昧な質問となっておりました。失礼致しました。私の質問では善悪の起源というところまでは至っておらず、正しくは
 
サタンが彼の3番目の転生で見せた独特な力強さが多くの者を魅了することとなり、サタンを中心とする派閥と、それに対抗する派閥の間の勢力争い、そしてその争いに組み込まれていった者達という絶妙なバランスが善悪の概念を形成する上で大きな要因となったのでしょうか?
 
程度のものであります。多分私が伺いたかったことは、
 
サタンの第3転生以前では、現代のように物事の価値基準を測る根幹となっているほどには善悪という概念が整備されていなかったと考えてもよろしいでしょうか?
また、今の人類の価値観として大きく根差している善悪という概念は、サタンの第3転生以降の派閥争いにより、徐々に醸成され整備されてきたものと考えてもよろしいでしょうか?
 
ということであろうと思います。
 
質問をさせて頂いた当時の心境としましては、善悪という人類における長年の課題であったとしても、
所詮はいずこかの派閥の長が自らの勢力を利するために発明した理屈(他者のイデオロギー・すなわち他人の意見)であり、その他人の意見に踊らされているのが現在の私なのではないかという懸念が生じていたということがありました。
 
例えば、善悪の研究に人生を捧げた方もおられたと思いますが、もしその追い求めた概念が他人の派閥争いのために生まれた口喧嘩の理屈に過ぎないものであったとしたら、なんとも儚いことだと感じたのだと思います(そして、あまり他人事とは思われないところがあったのだと思います)。
 
しかしながら、(他人の意見に踊らされているという結論は同様かもしれませんが)善悪の起源は深いとのお答えでありますので(質問④のご回答からも、善悪の起源となりますとオーム宇宙における2元性の正確な理解が必要となるような感覚を持ちました)、善悪に囚われている私の迷妄も同じようにまだまだ深いものであると再認識致しました。
 
質問(3)
 
質問⑩のご回答から、サタンやエルランティは数が正義という基本的な考えを持っており、その傾向性から分割を好むと理解致しました。こちらのご回答を拝見したことにより、何故彼らが執拗に派閥の渦中に身を置くことになってしまうのか、少しだけ分かったような気にさせて頂きました。ありがとうございます。
 
私は、数が正義という基本的な考えを持っているエルランティやサタンがアセンションに際し3分割していくということから、彼らは今後も数の力をもって宇宙全体に自らの影響力・エッセンスを波及させていく(それで救いをもたらす)という基本方針を維持されていくように感じましたが、そのように考えてもよろしいのでしょうか?
 
善悪に関しましては、前回頂いたご回答が全てかもしれませんし、今後の方向性に関しましては、それぞれの今後の選択の範囲内のことだとは思われますが、何らかのお言葉を頂けましたら幸いでございます。
 
どうぞよろしくお願い致します。
 
質問(4)
 
質問⑤のご回答にて、
 
>いずれにしても陰始の形質が発動するためには、明確なエゴがなければ機能しません
>「明確なエゴ」を機能するには、「明確な人格」が存在しなければならなかったのです
 
とお教え頂きました。後々明確な人格を、そしてそれゆえエゴを持つであろう人類の始祖e-1に陰始のDNAを埋め込むに至るまで、宇宙の意図や、多くの存在の思惑があったであろうことを思うと、その正確な意味を把握することは私には到底及びませんが、そのような状況を密かにチャレンジと受け取って静かに自らの道を見出してきた先人達の姿にとても興味を覚えました。
 
宇宙全史のワークを通じてお教え頂いた内容や、今後の御祭舟プロジェクトから可能な限り先人達の姿を汲み取っていきたいと思います。
 
質問⑤で頂いた上記のご回答に関連した質問になりますが、質問⑬にて、
 
>ヴラヴァツキーの優れたエゴが障害になっています
>通常人と比べると優れたエゴですが、それでも本当のアカシックを受け止めるだけのキャパには達していませんでした
 
とのご回答を頂いたことから、優れたエゴではあってもエゴを持っていたということから、ブラバッキーもやはり陰始の影響を受けざるを得なかったと考えてもよろしいのでしょうか?
(表向きのフリーメイソンと関係があったような情報は調べるとすぐに出てきますが、本当のフリーメイソンからのコンタクト・イニシエーションなどはあったのでしょうか?)
 
また、陰始の影響を受けていた場合、そこからエネルギーを奪われたことが、アカシックを全的に受け止められなかった直接の一因になったと考えてもよろしいのでしょうか?
 
当時ヨーロッパやアメリカで勢いのあった精神世界の動向に飽き足らず、自らの道を求め、最終的にアカシックレコードに接触出来るほどまでに至ったブラバッキーの感覚は、その価値を判別できる存在には大変稀有なものに見えたであろうと思いました。
 
質問(5)
 
この度頂いたご回答から、ブラバッキーの著作に興味を覚えまして、シークレット・ドクトリンの始めの方を少し拝読させて頂きました。
本の中には存在と非存在、はたまた永遠や実存についての象徴的な記述が散見され、宇宙全史と同じ匂いを醸し出している部分があり、虚空蔵菩薩の智慧の雰囲気を感じたような気が致しました。
 
虚空蔵55様からの存在と非存在についての問いかけは宇宙全史のワークの初期の頃からありましたが、存在あるいは非存在というのは、二元性の産物でありますので、「意識」(左側No.424のご回答を参照させて頂いております)から生じたものと考えて良いのでしょうか?
 
質疑応答14, p.42にて「宇宙には不完全なもの・部分的なものしか存在できない」とあることを鑑みますと、意識のある部分を枠で囲い部分的に生じさせたものが存在で、それ以外の未発生な部分が非存在である、そして、存在と非存在を併せることで「意識」あるいはその源である「真我」に統合されていくというイメージを抱きましたが、このような理解でよろしかったのでしょうか?
 
(こちらの考察は、かなり以前に(左側No.77のご回答にあります)
 
>「存在」を1としますと「非存在」は-1です。
>それは0「無」ではないのです。
 
>「非存在」である-1は、「存在」である1と同じ数(もの)ですが、方向がま逆です。
>だから-(マイナス)が付随しているのです。
>そして1「存在」と-1「非存在」を合わせますと、
 
>1+(-1)=0(無)
 
>となり「存在」「非存在」は「無」からたち現れるものとなります。
>(あるいは無にたち返ると申し上げてもいいかも知れません)
 
とお教え頂いたことを参照させて頂きました)
 
[百万円の本・人類フォロー派・収奪派]
 
質問(6)
 
質問⑥と質問⑭に関しましては、「百万円の本」にかすってしまう内容になるとのこと承知致しました。
 
そのような質問ではありましたが、質問⑥に対し、
 
>一定の境涯から見るとエホバも人類フォロー派も「同じ穴の貉(ムジナ)」です
 
とのご回答を頂き誠にありがとうございました。
 
これはとても大雑把な見方かもしれませんが、二元性の原理に基づき運営されているオーム宇宙においては、供給も収奪も同じ目線上のでの出来事であるという意味で、あるいはもっと私目線で述べさせて頂きますと、エホバも人類フォロー派も共に地球に深く関わる存在であるという意味において同じ穴の狢ということになるのでしょうか?
 
「同じ穴の貉(ムジナ)」という単語に囚われてしまっているのかもしれませんが、左側No.424でのご回答にて
 
>ましてや今回はアンドロメダ(みわの大元ですが)が星雲ごと完全覚醒に向けて動いていますから
 
とのお言葉がありましたが、「同じ穴の狢」であるアンドロメダの皆様が完全覚醒に向けて動いておられる一方で、収奪派(エホバ派)には同様の動きは見られないものなのでしょうか?
 
単純に、(ブラック高校3年生ほどになると分かりませんが)エホバ派とアンドロメダの皆様の間にかなりの認識の差があり、エホバ派がそのレベルに至っていないため、完全覚醒を望めないというのがお答えかもしれませんが、少ないながらもエホバ派の中で完全覚醒を狙っている存在もいるのではないかと思い質問をさせて頂きました。
 
やはり、「オーム宇宙は収奪の宇宙」ということでありますので(質疑応答15, p.111を参照致しました)、そのコンセプトにきちんと沿っている、ある意味でオーム宇宙のシステムの一部のような従順な収奪派(エホバ派)にはそこから抜け出ようという反逆的な発想は生じないものなのでしょうか?
 
また、「オーム宇宙は収奪の宇宙」という事実から「人類フォロー派」と「収奪派(エホバ派)」を鑑みますと、(どちらかというと)収奪派の方がオーム宇宙における正統派であり、二元性の原理によりバランスをとるため、フォロー派が顕現することになったというように私には想像されましたが、このような考え方はあり得るものでしょうか?
 
また、質問⑭では、各宇宙のアカシックレコードを統括するシステム(螺子輪宝宇宙に対応するアカシックレコードのようなもの)の存在について質問をさせて頂きましたが、目風様のご見解から、そのような巨大なシステムが存在しているような気配を感じました(私には微塵も感知されておりませんので無いも同様ですが...)。
 
現状の私ではどうあがいても触れるのことのできない情報でありますが、精進の果てにはそのような巨大なシステムについて拝読させて頂ける彼方の境涯が確かにあるということだけは忘れずにいたいと思います。
 
質問(7)
 
質問⑧のご回答にて、イシュタル文明について
 
>1,000年しか存在しなかった文明ですが、私にとっては印象に残る事件でした
 
とのお言葉を頂きましたが、私の感覚器官では目風様が抱いておられる印象を感じ取れていないため、そのような認識が得られていないように思います。
 
その原因として、イシュタルの方々の物質波動が750~800と非常に高いため、私の認識範囲をかなり逸脱しているのではないかと考えておりますが(宇宙全史1, p.329あたりを参照させて頂いております)、同ページにて「ここまでですと通常は形態というものを持たない存在なのですがちょっと変わっているようです」との記述があります。
 
こちらの記述は、物質波動が750~800レベルは階層で言いますと7次元あたりに対応しており(宇宙全史1, p.471参照)、7次元までは通常形というものが存在しない世界である(形が種子として現れるのは6次元界(阿頼耶識界)からである・宇宙全史1, p.437参照)という一般論からはやや逸脱した在り様をイシュタルの方々が持っておられるということを意味しているのでしょうか?
 
また、宇宙全史1, p.403にて第3アトランティスの初代統治者としてイシュタル人のクアールという方が「バランスをとるための責任」として出ておられるとありましたが、このバランスというのは、それ以前ムーや第2アトランティスにてエホバがソドムとゴモラなどを通じて加速させていた地球への収奪とのバランスを取っておられるということでしょうか(イシュタルの方々もやはりアンドロメダから来ておられるので、地球をフォローするお役目・責任をお持ちであると認識しております)?
 
[ラ宇宙について]
 
質問(8)
 
質問⑦にて、JUMUに関してお教え頂きありがとうございました。ご回答の中で、
 
>その時その時のJUMUレベルの存在が、JUMUとして各々に関係する界(地域)に集結し、UMUの指令を受けミッションを実行します
 
とありますが、この関係する界(地域)というのは、次元を横断した視点から仰っておられるのでしょうか?
 
例えば、アセンションをした後の地球や平行宇宙にある地球、さらなる上位次元にある地球などにもJUMUという組織は存在しており、各地球の意識レベルを反映した存在たちが管理していると考えてもよろしいのでしょうか?
 
また、目風様が虚空蔵55様から分離して移動されたのはラ宇宙にある地球(裏地球?)ということになるのでしょうか?
そうであった場合、その地球(裏地球)にもJUMUのような管理組織があると考えてもよろしいのでしょうか?
 
JUMUに関しましては、質問をさせて頂くにあたり色々と調べ直していたところ、質疑応答4, p.331にて
 
>アンドロメダの地球入植者たちも結局はその本体をJUMUにおいております
 
とご説明頂いていたことを再発見し、私の認識不足をあらためて把握致しました。
 
私はアンドロメダの皆様はUMUのメンバーであると理解しておりますが(宇宙全史1, p.147を参照)、実際には地球をフォローするため、地球に入植されている皆様は一時的にJUMUに属しておられると考えてもよろしいのでしょうか?
 
そのように考えた場合、JUMUには本当に様々なレベル・傾向をもつ方々が集まっており、明確な組織図・系統図や境界などがないというのも納得でございます。
また、JUMUと地上がお互いを反映し合っているとのことから、私が感知しえないだけで、地上も非常に多様な構成になっているのだと再認識致しました。
 
ご回答頂きありがとうございました。
 
質問(9)
 
質問⑪のご回答にて
 
ラ宇宙の裏はオーム宇宙です
 
とお教え頂きましたが、確かにオーム宇宙の裏の裏がオーム宇宙であるというのはその通りであると納得致しました。ありがとうございます。
 
ラ宇宙はオーム宇宙の裏ということでありますが、20年後地球人口は半分になる p.201にて(あるいは他の多くの箇所にて)、太陽系の9つの惑星に対応する裏の存在としての9つの惑星がこの宇宙のどこかにあるとお教え頂いていることと併せて考えますと、この裏の存在としての9つの惑星というのはラ宇宙にあるという認識でよろしいのでしょうか?(今更の質問でありましたら申し訳ございません)
 
私には今のところラ宇宙とオーム宇宙の間にどの程度対応がついているのか全く把握できておりませんが、ラ宇宙もオーム宇宙と同様二元性という原理が働いているのでしょうか?
そもそも、二元性という原理を持たない別な宇宙というのは存在しているものでしょうか?
 
また、虚空蔵55様は「ラ」という真言を唱えることと、複雑な行を15年間続けておられたとのことでありますが、目風様がラ宇宙に移動されたことなどと総合して考えますと、虚空蔵55様(または遊撃手)は初めからオーム宇宙とラ宇宙の両宇宙を(表と裏を併せて)何とかしてしまおうという意図をお持ちだったのでしょうか?
 
質問(10)
 
「ラ」という音に関しましては、宇宙全史のワークでも幾度か耳にしておりましたが、ラ宇宙がオーム宇宙と深い関係にあり、御祭舟プロジェクトの重要な舞台になることをお伺いして、多くの点が線で繋がっていくような思いでおります。
 
ただ、まだまだ分からないことは多く、例えば以前大分前に(2009年・右側のN.703の投稿になります)「この宇宙の基本構成要素」として重要な位置を占める生命体として「ラ」という物質が登場しておりました。
 
No.703のご回答を読ませて頂く限りは「ラ宇宙」と関連性があるのか私には分からなかったのですが、「この宇宙の基本構成要素」としての「ラ」と「ラ宇宙」の「ラ」との間に何らかのつながりはあるのでしょうか?
 
[記憶・認識・時間について]
 
質問(11)
 
質問⑫にて、「記憶は持っています」とご回答頂きました。私もほんの数回ですが(それゆえ目風様の記憶からは無くなってしまっている可能性が高いですが)宇宙全史のワークの初期の頃にお言葉を頂いたことがありましたので、今年の6月に初めて目風様へ質問をさせて頂いた際のご挨拶は、「初めまして」というよりは「お久しぶりでございます」が正しかったような気がしております。
 
ご回答頂きありがとうございました。
 
また、質問⑰のご回答にて、
 
>認識にはまず「感覚」を持つという作用が必要です
 
あるいは
 
>「感覚」を通して世界が創造され、感覚によって神羅万象、あるいは様々な世界、宇宙が展開されます
 
>そのうえで(これはどっぺんさんに語っていたはずですが)記憶の分類とファイル化による認識作用が発生してきます
 
とのご回答を頂き、認識というのは、第一に感覚により取得した情報によって世界が創造され、第二に創造された世界の情報を分類・ファイル化することで初めて生じるもののように思われました。
 
感覚に関しましては非公開情報9にて集合点の概念を用いて詳しくご解説頂いておりますが, 同p.19にて
 
>集合点は私たちの身体の中のエネルギー繊維と外の世界のエネルギー繊維を同調させることで、外のものが何であるかという感覚(認識)を得ます。
>それが「知覚」ということで、私たちは「知覚」によって世界を認識し、世界を創造しています。
 
とありました。こちらから察するに、様々な次元の世界の種といいますか、それらの世界の元となるエネルギーはオーム宇宙の中に初めから存在しており、そのエネルギー(繊維)のうちのどれに自らのエネルギー(繊維)を同調させるかによって、その後実際に住む(創造される)世界が変わってくると考えましたが、このような理解でよろしかったでしょうか?
 
また身体の中のエネルギー繊維を外のエネルギー繊維と同調させることにより、自動的に同調させたエネルギー繊維に対応する世界が創造されていくと理解してもよろしいのでしょうか?
 
以上のようなことを考えておりますと、ドンファンが仰るところのイーグルとイーグルの放射物という概念が思い出されます(これは最近カスタネダ著「意識への回帰」を再読させて頂いた影響でございます)。
私の理解では、「外の世界のエネルギー繊維」というのが、「イーグルの放射物を構成するエネルギー繊維」のことだと考えておりますが、このような理解でよろしかったのでしょうか?
 
また世界の移動が身体の中のエネルギー繊維をイーグルの放射物を構成するエネルギー繊維と同調させることによって起こると仮定した場合、宇宙全史1, p.442にて、
 
>そのイーグルというのがどうやら元ダマのようです
 
との記述があることと、元ダマとは6次元阿頼耶識界にある集合魂に含まれる概念であることを鑑みますと、集合点の移動により創造できる世界とは6次元以下の世界であると感じてしまいますが、このような理解でよろしいかったのでしょうか? 
(非公開情報8で集合魂の本当の意味をお教え頂いておりますので、元ダマの概念にも修正があるとは思われますが、宇宙全史1の情報に基づいて質問をさせて頂いております)
 
あるいは、たとえイーグルやイーグルの放射物が集合魂に含まれる対象であったとしても、集合点の移動により知覚できる世界はオーム宇宙の全ての領域に及んでいると考えてもよろしいのでしょうか?
 
分からないことだらけで何を質問すべきかも分からない状態でありますので、質問もチグハグとしたものになっておりますが、どうぞよろしくお願い致します。
 
質問(12)
 
質問⑮、⑱、⑲のご回答にて、
 
>人間の「記憶」をどう解釈しておられるか分かりませんが、「記憶」は単なるハードディスクに刻まれたデーターの蓄積ではないのです
 
>もっといいますと「記憶」が体を構成しているといってもいいでしょう
 
>宇宙全史における「記憶の定義」は、超ローカルなアカシックレコードという事になります
 
とのご回答を頂き、「記憶」は単なるハードディスクに刻まれたデーターの蓄積ではないと仰っておられる意味が少しだけ感じ取れたような気が致しました。ありがとうございます。
 
私はこちらのご回答から(曖昧な拡大解釈になってしまうかもしれませんが)、オーム宇宙におけるアカシックレコードと各個人における超ローカルなアカシックレコードが「自己相似形」という意味でのフラクタルな関係にあり、規模は全く違えど、共に記憶というもので構成されているというようなイメージを抱きましたが、仰っておられる意味を大まかにでも把握できておりますでしょうか?
 
あるいはさらに一歩進めて、人間とオーム宇宙が「自己相似形」という意味でのフラクタルな関係にあると考えた場合、オーム宇宙の「体」のようなものがアカシックレコードであり、人間の体(超ローカルなアカシックレコード)が人間の記憶で構成されているように、オーム宇宙の体に対応するアカシックレコードもまたオーム宇宙の「記憶」(これが集合点の移動によって創造される世界になるのでしょうか?)によって構成されていると考えることは可能でしょうか?
 
(質問⑯のご回答で頂いた
 
>確かにアカシックの中の黙示録は限定した担当者がありますが、大雑把に言ってしまえばすべてアカシックなのです
 
>また今回の地球の終末は、オーム宇宙の終末でもあるのです
 
というお言葉にも同様のフラクタルな関係性を感じておりました... が、私の勘違いも多分にあると思われます)
 
質問(13)
 
また質問⑮のご回答の中で、
 
>なお「未来の情報」も情報は情報なのです
 
>スーザンの言い方ですと、未来と過去が異なる意味を持つようですが、それは時間というものの正体が分かっていないからです
 
とお言葉を頂きました。
 
現状の私では「記憶の積み重ね」としての過去と「想像するもの」としての未来という視点から中々抜けられておりませんが、以上のご回答から察するに「記憶の積み重ね」としての過去=「記憶情報」、「想像するもの」としての未来=「創造された情報」という形で共に「情報」(=「オーム宇宙の記憶」=「アカシックレコードの一部」?)であると理解することが本来の見方に近いのでしょうか?
 
このように考えてみますと、時間というのは「情報」をどのような順番で並べるのかという問題であり、そこにエントロピーの拡大と縮小(縮小は生命による作用であると以前左側のNo.432にてご回答頂きました)による規則が働いてくるのではないかという期待が持たれますが...
 
以上のように想像力をたくましくして考えてみましても、現状の私では時間の正体の片鱗に触れることすら出来ないエネルギー状態であると推察されます。
 
仰るように時間の正体につきましては「時間」の本の中でご解説頂けますことを楽しみに待ちたいと思います。
その際はどうぞよろしくお願い致します。
 
質問(14)
 
質問⑱のご回答の中で、記憶が体を構成しているという事実を受けて
 
>だから皆さん方は、私が継続している肉体改造など関係ないと思っておられるかも知れませんが、そこを正さなければ到底「完全覚醒」など叶わないのです
 
とご教示頂きました。私は肉体の各器官が記憶や意識を持っているという事実を未だに体得できておりませんが、これはある出来事に対し、肉体の各器官が個別に印象を抱いていおり、各器官がその個別の印象を伴ったままこの出来事を記憶として(個別に)保持しているという理解でよろしいのでしょうか?
 
具体例を挙げさせて頂きますと、例えば心肺機能を向上させようといきなり長い距離を走ってしまった際に、心臓と肺には久しぶりに気持ちよく動けて爽快な印象を伴った事象として記憶される一方、膝にとってはいきなりの過剰な負荷となり、大変な印象を伴った事象として記憶されるというように、走ったという一つの出来事に対して、各器官が個別の印象を伴って記憶しているというような理解でございます。
 
そして、肉体改造とは、各器官に鬱積している感情をクリアにし、どの器官にも余計な負荷をかけずに、各器官が連携を取りながらバランス良く動けるようにすることを目標にしていると考えましたが、このような理解でよろしかったでしょうか?
 
私としましては、20年後世界人口は半分になる, p.194に記述があります「とてつもなく健康になる」という状態に惹かれるものがありますが、この「とてつもなく健康になる」という状態になるためには、同p.196にありますように、まずは「嚙み合わせ」の修正から始めるのが良いのでしょうか?
 
あるいは、肉体改造における固定したルートがあるわけではなく、各人各様の肉体改造の道筋がある(そのため、祈りという上位次元からのサポートがとても効果的である)と考えた方がよろしいのでしょうか?
 
体に関しましては何の知識の持ち合わせもなく、基本的な質問になってしまいますがどうぞよろしくお願い致します。
 
[数学における無限とフラクタル次元について]
 
質問(15)
 
質問⑳のご回答の中で、
 
スーザンさんから来ていたメール内のある文章が見つからず困窮していました
 
とのお言葉がありましたが、それは以前の宇宙全史掲示板の左側No.432への返信(こちらは掲示板の中には掲載されておりません)あるいは左側No.459の中で使用させて頂いた「自然数の逆数の和を足していく」という例のことではないでしょうか?
 
具体的に書かせて頂きますと、自然数1, 2, 3, 4 ... の逆数 1/1, 1/2, 1/3, 1/4 ... を``無限に"足し合わせていく
 
1/1 + 1/2 + 1/3 + 1/4 + ... (1)
 
という無限個の足し算のことでありまして、実はこの無限個の足し算の結果は「無限になってしまう」ということが知られています(少し不正確な言葉遣いをしておりますが、以下に詳細を説明させて頂きます)。
 
(無限個の足し算のことを、無限級数と呼びますが、この無限級数(1)には調和級数という名前がついております。昔中学生の頃に行った実験で、両端を固定した弦を弾いて振動させた音を聞いた後、同じ弦を長さが1/2, 1/3 ... のところで留めて波長を 1/2, 1/3 ... にして再度弦を弾くと、初めの音の倍音(2倍音, 3倍音 ...)が鳴り、音が調和して響くのを聞くことが出来るというものがありました。(1)の無限級数は、この調和する波長の長さを足し合わせることで得られることから、調和級数という名前がついたようです)
 
ただし、目風様のご指摘にありましたように、無限回の足し算をするというのは概念上の話であり、実際には不可能でありますので、数学的には「極限」という概念を用いて以下のように理解されています(適切なフォントがないため、見にくい表示になってしまうことをお許しください)。
 
まず、無限級数(1)を有限のところで区切った和を考えます。具体的には、
 
s(1) = 1/1,
 
s(2) = 1/1 + 1/2,
 
s(3) = 1/1 + 1/2 + 1/3,
 
とし、さらに一般的に、
 
s(n) = 1/1 + 1/2 + 1/3 + ... +1/n
 
と表します(和は英語の sum を和訳したものなので、頭文字の s をとり、初めの n 個の和を s(n) と表しました)。
 
このとき、無限級数(1)の値が無限になってしまうとは、数字の列 (単に数列と呼ばれます)
 
s(1), s(2), s(3) ...
 
が「限りなく大きくなる」ことであると数学的には考えます(正確に述べますと、数列 {s(n)} の極限が無限大に発散するということです)。
 
ただし、限りなく大きくなるとは、どんなに大きな正の数 M をとってきても、
 
s(1), s(2), s(3) ...
 
という数字の列を続けていくと、あるところから先の全ての数字がこの M よりも大きくなる、つまりある自然数 N を見つけてきて、n が N 以上なら s(n) > M となる;
 
n ≧ N ⇒ s(n) > M
 
ということを意味しています。そして、この事実を証明することが出来ます。つまり、正の数 M (どのような値でも構いません)に対して、自然数 N (N は M に依存して定まります)を具体的に探してきて(構成して)、n ≧ N ⇒ s(n) > M となることを証明することが出来ます。
 
この証明については以前、左側のNo.459にてややこしい説明をさせて頂きましたが、結論から申し上げますと、どんな正の数 M をとってきましても、
N = 2^2M (2の2M乗のことです。見にくいフォントで申し訳ございません) とすると,
 
n ≧ N (=2^2M) ⇒ s(n) > M
 
となることが証明できます。例えば、M を 50, 500, 5000 ... と一桁ずつ大きくしていきますと、2M は 100, 1000, 10000 とやはり1桁ずつ大きくなっていきますが、
 
s(2^100) = 69.89... > 50
 
s(2^1000) = 693.72... > 500
 
s(2^10000) = 6932.04... > 5000 
 
と計算機を用いて計算できますので、
 
n ≧ 2^100 ⇒ s(n) ≧ s(2^100) > 50
 
n ≧ 2^1000 ⇒ s(n) ≧ s(2^1000) = 693.72... > 500
 
n ≧ 2^10000 ⇒ s(n) ≧ s(2^10000) = 6932.04... > 5000
 
となっています。これは5のあとに0をいくつ続けようとも、必ず成り立っていますので、この事実を指して、
 
s(n) = 1/1 + 1/2 + 1/3 + ... + 1/n
 
という値は、n が大きくなっていくにつれて``限りなく大きくなる"、つまり「無限」である(無限大に発散する)と数学的には理解しています。
 
(今の計算でも分かりますように、この調和級数は初めの2の100乗個(桁数で言いますと1のあとに0が30個程つきます)を足し合わせてもやっと70ぐらいなので、無限大に発散する無限級数としては値の上昇がかなり緩やかな部類に入ります。しかも、自然数の逆数を足していきますので、2の100乗個辺りまで足してきますと、それ以後の加える数はとてつもなく小さな数になってしまいます。そのため本当に発散するのか、あるいはもっと言えば100までいくのかも疑わしいような無限級数です。このような奇妙な性質を持つため、s(n) という値がどれくらいになるのか(n の増加に伴いどれくらい増えていくのか)多くの数学者の興味を惹いてきたという事実があったようです。中でもオイラーは、 s(n) が log n (log というのは対数関数と呼ばれる有名な関数です)と大体等しくて、誤差はnを大きくしていくと0.5772...(オイラー定数と呼ばれます)という値に収束していくことを発見しております)
 
今の論証の巧妙なところは(巧妙であると私が感じているところは)、取り扱い(認識)不可能な無限というものを結論以外では一度も使用していないところです。
 
つまり、無限というものを理性の範疇では把握できないため(把握できないことを認め)、全ての議論を有限の範囲(認識可能な範囲)に収めて論証を進めているところです。
 
私は現在数学を生業としておりますが、高校時代には微分積分の分野がどうにも納得いかず苦労した覚えがあります。今考えてみますと、高校生の時に習った極限の考え方(無限の扱い方)が、17, 18世紀あたりの素朴な無限の取り扱い方(無限というものをボンヤリと認めるような立場)に依拠していたため、私はその認識が上手くできなかったのだと思われます。
しかし、その後ワイエルシュトラス等の19世紀後半あたりの数学者が展開した洗練された無限の取り扱い方(無限そのものを理性の範疇で認識することは不可能なので、有限の範囲に収めて議論する方法)を学んだことにより、徐々に理解できるようになったということがありました(私がただ単に数学界の常識に馴らされただけかもしれませんが...)
 
ただ、このように無限を直接扱わずに無限を表現するという手法を編み出す一方、19世紀以前から用いられていた便利な記号として、
 
1/1 + 1/2 + 1/3 + ... = ∞
 
という無限を全面に出した表現方法も(少し修正して)そのまま現代でも用いられております(ただ先ほども述べましたように、この意味は、無限個の足し算が無限になるという意味ではなく、s(n) という数列が n と共に``限りなく大きくなる" という意味だと理解する必要はあります)。
 
このように無限をあたかも存在するものとして理解する(無限を直接扱う)ことを志向する数学者ももちろんおりました。
 
19世紀末~20世紀前半あたりのゲオルグ・カントールという数学者が有名ですが(カントールは無限にも階層があるということを唱えて証明をしておりました)、無限を直接扱う代償のためか、あるいは同時代の数学者の激しい批判にあったためか、カントールは年齢を重ねるにつれて徐々に精神を蝕んでしまいました。
 
以上のお話はフラクタル次元に関わる例ではありませんが、目風様は数学におけるこのような無限の取り扱い方(ある意味で、無限を有限の数値で近似する方法)を指して
 
>② その無限を数学的に表現するために様々な手法が用いられている
>③ しかしその手法はあくまでも「0や無限に対する近似値」であって、決して0や無限そのものではない
 
と仰っておられたのでしょうか?
 
私は以上に述べたような感覚を抱きましたが、目風様のご見解を頂戴したく存じます。どうぞよろしくお願い致します。
 
質問(16)
 
また、目風様からのご回答を読ませて頂きますと、フラクタル次元に関しましても、確かに無限が鍵になると感じました。
 
例えば、以前にフラクタル次元の説明の際に挙げさせて頂いたワイエルシュトラス関数も無限級数を用いて(無限の概念を用いて)定義されるものになります。
 
その定義は、真面目に書くとややこしいですが、ある条件を満たす数 a, b と円周率π, そして三角関数のコサインを用いて、
 
cos(πx) + a cos(bπx) + a^2 cos(b^2πx) + a^3 cos(b^3πx) + ...
 
という形の無限級数により定義されます(先ほどの調和級数では波長の足し算でしたが、今度は cos(πx), a cos(bπx), a^2 cos(b^2πx), a^3 cos(b^3πx) ... という波(波動)自体の足し算(重ね合わせ)です)。
 
この無限級数は、x がどんな値であろうと収束していることが証明できます(つまり、無限大に発散するというようなことがなく、何らかの値が定まります)ので、中学校や高校で習ったような感じで、x の値を色々動かして xy 平面の上にグラフを書くことが出来ます。もう少し数学的に書けば、
 
f(x) = cos(πx) + a cos(bπx) + a^2 cos(b^2πx) + a^3 cos(b^3πx) + ...
 
とおいて、y = f(x) のグラフを xy 平面上に書くことが出来ます。そしてこのグラフを実際に書いてみますと、以前No.432にて虚空蔵55様がアップして下さったギザギザのグラフが現れてきます(ただ、無限個の足し算を実際に行うことは出来ないため、目にしているのは有限個の足し算を行った近似曲線になります)。
 
図がないため分かりにくいと思われますが、例えば、a = 0.6, b = 10 として実際にグラフを書くと、ハウスドルフ次元が約1.78次元になることが証明されています(私はまだこの証明を理解できておりません)。
 
しかし、ワイエルシュトラス関数の例では``無限個"足し合わせることで初めて次元が1.78と1より大きくなりますが、この無限級数を途中で打ち切ってしまうとどんなに数多く(無限に近く)足し合わせましてもその次元は1のままで、1.78どころか1より大きくなることすらありません。
 
つまり、この足し算を十万回、一億回、はては一千兆回行ったところで、個数が有限である限り次元は1のままであり、``無限個足す" (数学的に正しく述べれば極限操作を施す)ことによって初めて1を越えて1.78という次元になります。
 
(もう少し直感的に考えますと、cos(πx), a cos(bπx), a^2 cos(b^2πx) などの一つ一つ波(波動)は滑らかなため、それらをいくつか足した(重ね合わせた)波もやはりある程度滑らかで長さを測ることが可能なのですが、足し合わせる数が多くなっていくほど(異なる波を数多く重ね合わせるほど)、複雑な(ギザギザな)波になっていき、最終的に極限をとってしまいますと(無限個足すと)、滑らかなところが全くない長さの概念(数学的な1次元の概念)を超えた長さ無限大の対象になってしまうという状況になっております)
 
無限級数というのは先にも述べました通り、数学的な概念でありますので(実際に無限個の足し算をしているわけではない)、本物の無限と言うよりはやはり「無限の代用物」あるいは「概念上の無限」といったものになりますが、今の例を見ますと、1次元から少しでも次元を上げるにはどうしても無限というものが必要になることが窺われます。
 
前回頂いたご回答の中で、目風様が
 
>しかし何度も強調しますが、あくまでもこの数式は「無限の代用物」なのです
>(私たちには実際に無限回数字を足すことは出来ません)
 
あるいは、
 
>つまり次元上昇には無限を越えていかなければならないという事です
>それがフラクタル次元がもたらす重要な認識です
 
と仰っておられたのは、フラクタル次元(ハウスドルフ次元)のこのような性質を指しておられたのでしょうか?
 
質問(17)
 
質問⑲のご回答の中で、
 
>ハウスドルフ測度というのは、一種の数学的なメソッドではないのでしょうか?
>ハウスドルフ測度自体に段階はないですよね?
 
という問を投げかけて頂きました。ハウスドルフ測度は仰る通り完全に数学的な対象でありまして、ユークリッド空間やユークリッド空間をもう少し抽象的にした距離空間という``空間"の中で定まる測度になります。しかし、各実数 s に対応した s 次元ハウスドルフ測度という形で、一応段階があると考えることが出来るのではないかと感じております。
 
例を挙げれば、1次元ハウスドルフ測度、1.5次元ハウスドルフ測度、1.78次元ハウスドルフ測度、2.001次元ハウスドルフ測度 etc... とキリがありませんが...
 
そして、ある図形 X を各次元に対応するハウスドルフ測度(s次元ハウスドルフ測度)で測りますと、s が小さい場合にはハウスドルフ測度の値が無限になってしまう(無限大に発散してしまう)のですが、s を徐々に大きくしていきますと、ある実数 s で突如 s 次元ハウスドルフ測度の値が 0 になってしまう時がやってきます。
 
このハウスドルフ測度の値が無限から一気に 0 に下がる値 s では、(直前までハウスドルフ測度の値が無限となり計測不能だったのですが)丁度ピントが合ったかのように s 次元ハウスドルフ測度の値が有限の値を指すようになります。そしてこの丁度ピントが合った s の値を図形 X のハウスドルフ次元と定義しています。
 
先ほどのワイエルシュトラス関数の例(a = 0.6, b = 10 の場合)で述べさせて頂きますと、1次元ハウスドルフ測度(これは長さと同じ意味です) ... 1.1次元ハウスドルフ測度 ... 1.2次元ハウスドルフ測度 ...1.77次元ハウスドルフ測度でワイエルシュトラス関数のグラフの「大きさ」を計測していきますと、これらの測度では使い物にならず計測不能になってしまうのですが(測度が無限大に発散してしまう)、s の値を徐々に大きくして1.78次元ハウスドルフ測度まできますと、測度が測れるようになるので、a = 0.6, b = 10 の場合のワイエルシュトラス関数のグラフの次元(ハウスドルフ次元)は1.78次元であると定めるという感じでございます。
 
いまの状況を細かく見てみますと、例えばワイエルシュトラス関数のグラフの1次元ハウスドルフ測度(長さ)を計測してみますと、長さが無限大となってしまい1次元の視点(このようなものがもしあればですが)では把握できないのですが、認識を徐々にを上げていき1.78次元より高い視点(少し感覚的な表現になりますが、例えば長さ以外の奥行などを感じ取れる感覚をもつ階層)から同じワイエルシュトラス関数のグラフを眺めてみますと、それはもう無限大の大きさを持つものなどではなく、その世界の尺度では``大きさ"はない(ハウスドルフ測度の値が 0 になる)と理解されることになります。
 
これは、低い次元の視点からでは「無限」と認識されていたものも、視点を上げるとそれはもはや無限ではなくなるということを意味しているのではないかと感じました。
 
つまり、一口に無限と言いましても、どの視点から見た無限なのかということをはっきりさせておくことが大切であると考えたのですが、無限というのは見る視点を変えると無限ではなくなってしまうというような相対的な概念であると考えられるものでしょうか?
 
もしこれまで私が考えていた概念がある意味相対的無限といったものであった場合、絶対的無限(どのような視点からみても認識不可能)といった対象はあるのでしょうか?
 
それが100次元のオーム宇宙を越えた領域(次元の概念が消失した領域)となるのでしょうか?
 
最後は矢継ぎ早な質問になってしまいましたが、目風様のご見解をお伺いしたく存じます。どうぞよろしくお願い致します。
 
以上、大変長い文章になってしまいましたが、ID : 58508793889にて頂いたご回答について私がお伺いしたいこととなります。
 
本日もお忙しいところお時間を割いて頂き誠にありがとうございました。
真実を知るにはまだまだ力不足・エネルギー不足で分不相応な質問が散見されていると思われますが、ご見解・ご回答をお伺いしたく思っております。
どうぞよろしくお願い致します。
 
最後になりますが、いつもお世話になっており誠にありがとうございます。
重ねてお礼申し上げます。

2021・10・20

上はスーザンさんからのメールです

一度に回答が出来ない状況ですので、可能なものだけ1つずつ左で回答していこうと思います
なお左にすべての質問をプットしてしまいますと、回答と比較して読むことが困難と予想されますので、右と左に分けました
気長にお読みください
(虚空蔵55の時より更に数学的な思考能力は落ちていますので容赦ください)

目風
 

目風
ID : 62777399342

ばれす様

お待たせしました
まんだらけのHpでは、日本語サイトと英語サイトがありますが、日本語サイトの方で通販登録をしていただくと、日本国内はどこでもお届けします
↓こちらが国内通販の登録場所です
https://my.mandarake.co.jp/pre/?lc=ja

よろしくお願いします

ばれす
ID : 82202228938

海外在住なのですが、『宇宙全史』を自宅に注文することはできますか。
転送サービスでは会員登録できないのですが。よろしくお願いします。

多分出来ると思うのですが、今社内には誰もいませんので、後程確認してからここに書きます
しばしお待ちください

目風

satsuki
ID : 1426531988
目風様 みわ様 虚空蔵55様 いつもありがとうございます。

世界人類が平和でありますように

大事なおしらせをありがとうございます。
少しずつ、少しずつ落ち着いてきました。
申し訳ありませんでした。

感謝することの自分の浅はかさを反省します。

祈りと感謝、深まりますように
世界人類が平和でありますように

五井先生ありがとうございます