宇宙全史に関わる全ての皆さま、気づきと学びをありがとうございます本日、そうしたほうがよい気がしたのでいつもより早い時間に散歩に出かけました。川沿いで暑いからもう帰ろうとしたところで異変に気がつきました。水の落ちる音が妙に小さいのです。周囲を見渡すと車がやけにゆっくりと進んでいるのが見えました。気のせいかもしれないが確かめるために比較的車通りの多い道を歩いてみました。やはり車はゆっくりと進んでいるように感じられました、鳥の飛ぶ姿もゆっくりと、そしてくっきりと見えました。そしてとても静かでした。その静寂の感覚が面白かったので、暑かったことも忘れてしまいいつもより余計に歩いて帰りました。こういう感覚は瞑想修行のかたのブログで読んだことがあるので、たぶん似たようなものだろうとも思いました。また、こういうことが起こったのは私の認識が変わったせいだろうなとも思いました。前回お送りしたメールには書きませんでしたが、ひと月ほど前に地球全史編の初版が手元に来てくれました。その後も一進一退という感じでしたが、今月に入ってやや感情が落ち着きました。そしてしきりに「この地球で生きていることはバーチャルリアリティゲームなのだ」という思いがつきまとうようになりました。もちろん私独自の発想ではなく数々の聖賢が伝えてきてくださったことです。宇宙全史でも書いてあった気がするけど確信もなく、せめてこの地球全史編だけでも読み返そうとしていたところでした。結局読み返す前に、本日の体験の感動を伝えたくてメールしてしまいました。お許しください。「どうも私はゲームの中のキャラクターである」「私にはプレイヤーがいる(元ダマ?)」「パラレルワールドの私は世界分岐線ごとに元ダマがプレイして確保しているセーブデータのようなもの」「プレイヤーはゲームに没頭して我を忘れてしまう。そのため、守護霊のようなサポーターがついている?」実感はありませんがこんな思いがここのところずっとしていました。私は操作されるデータの積み重ねにすぎなくて、ただプレイヤーが『私というキャラクター』を熱意と集中をもってプレイしているからたまたま命が宿っただけのものなのかと思ったり。五感で感じる全ては作り物なのかもしれないと、そんなふうに思うようになったせいか、本日このような感覚を得たのかなという気がしています。ゲームだったと思い出したら没頭感が薄れた、というように思えます。突き詰めて考えると切りもなく、またそのエネルギーもないため、こんなことを思いそしてこんなことがありましたというご報告だけさせてください。ゲームだという思いは的外れな部分があるものかもしれませんが、今日の体験は私ごときの祈りだけでこんな境地に連れてきて頂けるのかと感動いたしました。宇宙全史と出会って1年とすこし、なんだかここまでペースが早い気もしますが、私の集合魂の仲間には真面目に修行してくれたかたがいたのでしょうね。ありがたいことです。今は私のターンなので、難しいことは出来ませんがひたすら祈ろうと思います。あの静けさは入口に過ぎないでしょうから、あまり浮かれず進みたいとも思います。ありがとうございました。2020・10・10
あゆく様「私の集合魂の仲間には真面目に修行してくれたかたがいたのでしょうね。ありがたいことです。今は私のターンなので、難しいことは出来ませんがひたすら祈ろうと思います。あの静けさは入口に過ぎないでしょうから、あまり浮かれず進みたいとも思います。ありがとうございました」●とてもいいご報告でしたね虚空蔵55
宇宙全史に関わる全ての皆さま、気づきと学びをありがとうございます
本日、そうしたほうがよい気がしたのでいつもより早い時間に散歩に出かけました。川沿いで暑いからもう帰ろうとしたところで異変に気がつきました。水の落ちる音が妙に小さいのです。
周囲を見渡すと車がやけにゆっくりと進んでいるのが見えました。気のせいかもしれないが確かめるために比較的車通りの多い道を歩いてみました。やはり車はゆっくりと進んでいるように感じられました、鳥の飛ぶ姿もゆっくりと、そしてくっきりと見えました。そしてとても静かでした。
その静寂の感覚が面白かったので、暑かったことも忘れてしまいいつもより余計に歩いて帰りました。
こういう感覚は瞑想修行のかたのブログで読んだことがあるので、たぶん似たようなものだろうとも思いました。また、こういうことが起こったのは私の認識が変わったせいだろうなとも思いました。
前回お送りしたメールには書きませんでしたが、ひと月ほど前に地球全史編の初版が手元に来てくれました。その後も一進一退という感じでしたが、今月に入ってやや感情が落ち着きました。そしてしきりに「この地球で生きていることはバーチャルリアリティゲームなのだ」という思いがつきまとうようになりました。
もちろん私独自の発想ではなく数々の聖賢が伝えてきてくださったことです。宇宙全史でも書いてあった気がするけど確信もなく、せめてこの地球全史編だけでも読み返そうとしていたところでした。結局読み返す前に、本日の体験の感動を伝えたくてメールしてしまいました。お許しください。
「どうも私はゲームの中のキャラクターである」
「私にはプレイヤーがいる(元ダマ?)」
「パラレルワールドの私は世界分岐線ごとに元ダマがプレイして確保しているセーブデータのようなもの」
「プレイヤーはゲームに没頭して我を忘れてしまう。そのため、守護霊のようなサポーターがついている?」
実感はありませんがこんな思いがここのところずっとしていました。
私は操作されるデータの積み重ねにすぎなくて、ただプレイヤーが『私というキャラクター』を熱意と集中をもってプレイしているからたまたま命が宿っただけのものなのかと思ったり。
五感で感じる全ては作り物なのかもしれないと、そんなふうに思うようになったせいか、本日このような感覚を得たのかなという気がしています。ゲームだったと思い出したら没頭感が薄れた、というように思えます。
突き詰めて考えると切りもなく、またそのエネルギーもないため、こんなことを思いそしてこんなことがありましたというご報告だけさせてください。
ゲームだという思いは的外れな部分があるものかもしれませんが、今日の体験は私ごときの祈りだけでこんな境地に連れてきて頂けるのかと感動いたしました。
宇宙全史と出会って1年とすこし、なんだかここまでペースが早い気もしますが、私の集合魂の仲間には真面目に修行してくれたかたがいたのでしょうね。ありがたいことです。今は私のターンなので、難しいことは出来ませんがひたすら祈ろうと思います。
あの静けさは入口に過ぎないでしょうから、あまり浮かれず進みたいとも思います。
ありがとうございました。
2020・10・10